農林水産省は2026年4月からブロッコリーを、国民生活に欠かせない「指定野菜」に追加した。車中泊で全国各地の農家を取材している農業ライターの鈴木雄人さんは「ブロッコリーはケールの花蕾を食べる野菜。
同じルーツを持つ野菜として、以前はカリフラワーが日本の食卓の主役だったが、流通革命によって逆転劇が起きた」という――。
■ブロッコリーが「インフラ野菜」になった
令和8年度、日本の農業史に新たな1ページが刻まれる。国が定める「指定野菜」に、新たにブロッコリーが追加されたのだ。
そもそも「指定野菜」とは、国民の消費生活において極めて重要とされる野菜のことであり、これまで農林水産大臣によってキャベツ、きゅうり、たまねぎ、トマト、ばれいしょ、レタスなど14品目が指定されてきた。
ここに新たな品目が追加されるのは、1974年(昭和49年)のばれいしょ以来、実に52年ぶり、約半世紀ぶりのことである。
ブロッコリーが「指定野菜」になることで、一体何が変わるのだろうか。
国には相場が下落した時に生産者を支える「野菜価格安定制度」というセーフティーネットがある。この対象となる野菜は、35品目の「特定野菜」と、今回ブロッコリーが追加され15品目となった「指定野菜」の2種類。もともとブロッコリーは、特定野菜という位置づけだったものが昇格された。
違いは、相場が下落したときの補償額だ。特定野菜の場合、生産者の負担割合は「3分の1」。しかし、指定野菜に追加されたことで、この負担割合が「4分の1」へと軽減される。
生産者はより手厚い補填制度を利用できるようになるのだ。
これは、決して農家だけのためのものではない。生産者が価格暴落や天候リスクに怯えることなく、安心してブロッコリーを作り続けられる環境が整うということは、豊作や不作による価格の乱高下を防ぎ、「一年中、適正な価格で安定して美味しい国産ブロッコリーが食卓に並び続ける」ということ。消費者への安定供給こそが、指定野菜化がもたらす最大のメリットなのである。
いまでこそ食卓に欠かせないブロッコリーだが、いま指定野菜になった背景を見ると、農業の技術革新とそれに伴う驚異的な成長があった。本稿ではその軌跡を振り返ってみたい。
■40年で消費量が倍増
言うまでもなく、日本の人口は減少傾向にある。野菜の総需要量も総じて減少に向かうことは避けられない。実際、多くの野菜の作付面積・生産量は縮小している。
しかし、その中で逆行するように数字を伸ばしているのがブロッコリーだ。
野菜生産出荷統計(農林水産省)によると総出荷数量は、1990年時点で7万7000トンだったものが、2024年には14万6000トンと倍近く増加した。また、家計調査(総務省)の1世帯当たりの年間購入数量(2人以上の世帯)においても、ブロッコリーの調査が始まった1990年が1910gに対し、2024年には4539gへと倍以上に増加している。

まさに「国民的野菜」へと上り詰めたブロッコリーだが、かつて、ブロッコリーよりも「カリフラワー」が国内では多く食べられていた事実をご存じだろうか。
■同じ地中海生まれの「兄弟」
ブロッコリーとカリフラワーは、そっくりな見た目からわかるように植物学的には全く同じルーツを持っている。
地中海東部の沿岸や温暖地を原産とする野生種の「ケール」を祖先とするアブラナ科の野菜だ。ケールがヨーロッパへ普及していく過程で、葉が結球したものがキャベツ、根が発達したものがコールラビ、そして「花の部分(花蕾)を食べる」形に分化したのがブロッコリーである。さらにそのブロッコリーの蕾が突然変異によって白化したものがカリフラワーだ。国連食糧農業機関(FAOSTAT)などの国際的な統計でも、「Cauliflowers and broccoli」としてセットで集計されるほど、両者は密接な関係を持っているのだ。
ブロッコリーやカリフラワーが日本に導入されたのは明治初期と言われているが、当時は日本国内で種を採ること(採種)が困難であり、日本人の食生活にも馴染まなかったため、すぐには普及しなかった。その後、一般に普及したのは第2次世界大戦後のことである。
■「洋菜の三白」として一時代を築いたカリフラワー
この兄弟の運命が大きく動き出したのは、第2次世界大戦後。食生活の欧米化が進み、生野菜サラダを食べる習慣が日本に根付き始めると、先にスポットライトを浴びたのは弟のカリフラワーだった。
カリフラワーは、あの美しい純白の花蕾を保つためには、生育中に大きな外葉を内側に折って藁で縛り、直接日光が当たらないように大事に覆うという作業が必要となる手間のかかる野菜だが、1960年代、その美しい見た目と、マヨネーズによく合うほのかな甘みが日本人の心を掴んだ。カリフラワーはまたたく間に大衆化し、当時はホワイトアスパラガス、セロリとともに「洋菜の三白」と称され、洋食ブームの立役者として地位を築いたのである。

一方のブロッコリーが普及しなかった理由としては、「常温輸送」という当時の物流事情があった。
■常温輸送時代の厄介者
常温で運ぶのが当たり前だった時代、ブロッコリーは極めて「扱いづらい」野菜の筆頭だった。
ブロッコリーのつぼみは収穫後も激しく呼吸を続けており、常温下に置くとあっという間に代謝が進み、つぼみが開いて黄色く変色してしまう「黄化(おうか)現象」が起こる。鮮度劣化が非常に早いため、冷蔵技術が未発達だった当時は、産地から遠隔地へ新鮮なまま運ぶことが困難だったのである。
一方で、ライバルのカリフラワーは違った。同じ花蕾を食べる野菜でありながら、カリフラワーはブロッコリーに比べて代謝が比較的緩やかで、「常温輸送」でもあの白さと品質を一定期間保つことができた。この「輸送適性の高さ」こそが、冷蔵インフラが整っていなかった時代において、カリフラワーがブロッコリーに対し圧倒的なアドバンテージを持っていたわけだ。
■逆転劇の引き金。緑黄色野菜ブーム
しかし、カリフラワーの地位は、突如として兄のブロッコリーによって奪われることになる。その最大の転換点となったのが、1970年代から需要が伸び始め、1980年代に巻き起こった「緑黄色野菜ブーム」だ。
1982年、「日本食品標準成分表」が改訂されたことで、緑黄色野菜であるブロッコリーの持つ豊富な栄養価が科学的に証明され、高栄養価な野菜として、改めて高く評価されるようになった。
この栄養評価の高まりに加えて、アメリカなどから「氷結輸送」(ブロッコリーを砕いた氷と一緒に発泡スチロールなどに詰めて輸送する鮮度保持技術)を用いた輸入ブロッコリーが年間を通じて出回るようになったことで、日本の食卓における地位は一気に確立されていった。
現在では、ブロッコリーの2024年の出荷量が14万6400トンに達しているのに対し、近年のカリフラワーの出荷量は1万6000トンにとどまっており、完全に立場が逆転してしまったのだ。
■魚市場から生まれた国産ブロッコリーの雄
輸入ブロッコリーが売れている状況を国内の生産者も指をくわえて見ているわけではなかった。
長崎県雲仙市に拠点を置く有限会社國﨑青果は、一年中、安定的にブロッコリーを供給できる仕組みを整えた青果の卸売流通業者だ。代表取締役社長、井上有基さんは、輸入ブロッコリーの専売特許だった「氷結輸送」を国内の生産現場へと最適化させ、日本全国へ展開した。
2006年当時、青果卸をしていた家業に戻った井上さんが直面したのは、九州という温暖な産地ゆえの限界だった。ブロッコリーは3月を過ぎると鮮度保持が難しくなり、市場からはクレームが届く。この「旬の短さ」が、収益拡大を阻んでいた。
突破口は、熊本県八代市への進出時に訪れた。新たに拠点がたまたま「元・魚市場」だったことから、施設内に製氷機が残っていたのである。井上さんは、輸入ブロッコリーの輸送術をヒントに、この製氷機を活用。発泡スチロールに砕いた氷を詰め、ブロッコリーの品温を強制的に下げる「発泡氷詰め」を本格的に導入した。
「当時は国内の一部でしか行われていなかった手法ですが、これが見事に当たりました」と井上さんは振り返る。
この技術により、これまで九州では3月で終わっていた出荷期間を6月まで延ばすことに成功。鮮度が維持された高品質なブロッコリーは市場で高く評価され、生産農家へ還元される利益は跳ね上がった。
■「儲かる農業」への転換と全国展開
「鮮度が保てる=長く売れる」という方程式は、地域の農家を動かした。
熊本では「ブロッコリーは儲かる品目」として作付けが爆発的に拡大。國﨑青果はその後、各地の拠点に製氷機を導入し、長崎や熊本を筆頭に、北海道から徳島、埼玉まで全国を網羅する供給ネットワークを築き上げた。
その勢いは数字にも表れている。井上さんが入社した2006年に約10億円だった同社の売上は、2025年には年商88億円を記録するまでに成長。扱うブロッコリーは年間250万ケースに達し、まさに「ブロッコリー界のトップランカー」として市場を牽引している。
■流通革命とバイオテクロノジー技術の賜物
こうした国産ブロッコリーの台頭を語る上で、日本の種苗会社による「品種開発」の功績も無視できない。
ブロッコリーは本来、涼しい気候を好む野菜だ。しかし、現在では一年中、国産が欠かさず食卓に並ぶ。この「リレー栽培」を可能にしたのが、日本の気候を知り尽くした種苗会社の技術だ。

「サカタのタネ」をはじめとする国内の種苗メーカーは、日本の多様な産地に合わせて、数え切れないほどの品種を生み出してきた。「夏場に強い品種」「病気に強い品種」、さらには「植えてから収穫までが早い品種」など、産地と時期のパズルを埋めるように品種ラインナップを揃えていったのである。
また、開発の基準は「育てやすさ」だけではない。輸送中の衝撃に耐えられるよう、つぼみの密度がギュッと詰まった「締まりの良さ」や、店頭で並んでも変色しにくい「濃い緑色」の維持など、流通と消費の現場が求める理想のブロッコリーがタネの段階から設計されているのだ。
この「タネの進化」があったからこそ、農家は安心して作付けを拡大でき、消費者はいつでも新鮮な一株を手に取れるようになった。国産ブロッコリーの快進撃は、日本のバイオテクノロジーの結晶ともいえる。
「輸入ものに頼らなくても、いつでも新鮮な国産が手に入る」
この当たり前を支えているのは、産地や生産者、種苗会社の飽くなき挑戦だ。52年ぶりの指定野菜化は、いわば日本の生産者たちが積み上げてきた「鮮度保持の努力」と「ビジネスとしての自立」が、国家に認められた瞬間だったのだ。

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鈴木 雄人(すずき・ゆうと)

農業ライター

1997年、茨城県石岡市生まれ。農学部を卒業後、青果卸会社に就職。全国の農家と繋がり、現地で得た情報を発信することで、農業界を盛り上げていきたい。という気持ちが強まり、約2年勤めたのち退職。2022年より、車中泊で全国の農家を周りながら現地で得た情報をメディアやSNS、ブログ「はれのちアグリ~農業情報~」で発信する。

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(農業ライター 鈴木 雄人)
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