■NTTが始めた高級エビに引けを取らない養殖エビ
透明な水を湛えた生け簀に沈むザル状のカゴには、体長約15センチのバナメイエビが30匹ほど泳いでいる。
出荷前の丸一日、この生け簀でエサを抜く。そのひと手間で体内から老廃物が抜け、エビ本来の澄んだ甘みが際立つのだ。収穫したエビは氷締めされ、仮死状態のまま出荷される。
この刺身用の「福エビ」と加熱用の「幸エビ」は、通信大手NTTグループの「NTTグリーン&フード」が静岡県磐田市の陸上養殖プラントで育てるブランドエビだ。
会社設立から3年。いまや“NTTエビ”は、地元の磐田市や浜松市の飲食店にとどまらず、全国チェーンの串カツ店や回転寿司店の期間限定メニューにも使用された実績を持つ。外食のプロたちが「身の締まりが良く、甘みが強い」と舌を巻く品質は、成分分析でも旨味や甘味の指標となる値が高級食材であるクルマエビと遜色ないことが証明されている。
天然や従来型の養殖エビと、陸上養殖のエビは何が違うのか。
NTTグリーン&フードの久住嘉和社長は、陸上養殖で飼育したエビの強みについて語る。
■寿司屋で生のバナメイエビが食べられる
【久住】天然のエビは気候や海水温の影響を受けやすく、どうしても品質や供給にばらつきが生じます。海外で行われている野池での粗放養殖も、病気対策として抗生物質などの薬剤を使用するケースがあり、必ずしもサステナブルとは言えません。国内の海面養殖も、環境変化や疾病の影響を受けやすく、海洋汚染の原因になるという課題があります。
一方で陸上養殖では、プラント内に設置した巨大な水槽でエビを飼育します。水温、アンモニア濃度、pH、溶存酸素濃度、エサを与えるタイミングなどは、NTTが得意とするICTとAIで一括管理しています。エビにとって最適な環境で、栄養価の高いエサを与えることで、味も食感も格段に向上します。
もうひとつの強みが鮮度です。
国内で、刺身で食べられるエビは国産のクルマエビが多いですが、生産量の減少により、安定供給が難しいのが現状です。
バナメイエビの場合は90%以上が輸入で、冷凍されて流通します。そのために寿司屋では茹でたエビが主流でした。
しかし、「福エビ」の生産によって、バナメイエビも生で食べられるようになったのです。
■甲殻アレルギーにも反応しないエビだって作れる
【久住】新鮮なエビを供給する上で大きかったのは、磐田市を拠点にできたこと。磐田にプラントを建設した理由は3つあります。
1つ目は、物流拠点としての強み。収穫したエビをその日のうちに、東京、名古屋、大阪に届けられます。
2つ目が豊富で上質な水。水を制する者は陸上養殖を制する。そう言われるほど、陸上養殖に上質な水は欠かせません。磐田プラントでは、近くを流れる天竜川の伏流水をくみ上げて利用しています。
3つ目が磐田市の後押し。磐田市は「磐田をエビの町にする」と語るほど誘致に積極的に取り組んでくれました。
陸上養殖の強みは他にもあります。品種改良や飼育環境のコントロールを行えば、甲殻アレルギーのもとになる特定のタンパク質を持たないエビを生産できます。
ノルウェーは、国策としてアトランティックサーモンの養殖に取り組んできました。昔、サーモンは寄生虫のリスクが高くて生では食べられなかった。しかし品種改良や品質コントロールをした結果、日本でも生のサーモンが食べられるようになり、いまや一番人気の寿司ネタになりました。
陸上養殖も、寿司業界だけではなく、食卓を変えるポテンシャルを持っているのです。
■水産業を持続可能な「誰でもできる仕事」に
陸上養殖が変えるのは、寿司業界や食卓だけではない。
一次産業の働き方を変える可能性も秘めている。
磐田プラントのスタッフは、朝8時か9時に出社する。社員の勤務はおおよそ15時~16時ころまで。それ以降に、水温や水質の異常があれば、担当者のスマホのアラームが鳴る仕組みだ。土日も基本は休日となっている。
【久住】従来の漁業では、海が時化たら船が出せません。
農業界では、従来の家族経営型ではなく、企業が主体となって行う「企業農業」が登場してから十数年が経ちます。たとえば、全国にショッピングモールなどを展開する大手企業の子会社が運営する農業法人は、農業でありながら、土日祝日を休日とする働き方を実現しました。さらに収穫した米や野菜をその流通グループが販売するので販路が確立されています。安定した働き方ができるため、学生たちに人気の就職先のひとつになっています。こうした流れが、「3K」と呼ばれて、若者に敬遠された一次産業全体を変えていくはずです。
だからこそ、われわれは「企業農業」に続く「企業水産業」というビジネスモデルを目指したいと考えています。そのためには、職人的な技術や知識に頼っていた水産業を「誰にでもできる仕事」に変えていかねればなりません。
そこで何が必要となるのか。
データの蓄積とデジタル技術の活用です。
いま水産業は、「獲る漁業」から、陸上養殖に進みました。
■誰もが水産業に参入できるインフラのある社会を目指す
「総合的な企業水産業」
久住社長は目指すべき会社のあり方にあえて“総合”を冠した。そこに込められているのは、家族経営や職人技に依存してきた水産業を、データと標準化によって再構築し、エビ以外の魚種の陸上養殖ノウハウも確立し、広く展開していくという思いだ。
NTTグリーン&フードが国内トップの座を占めるのは、バナメイエビだけではない。大分県でトラフグやヒラメの陸上養殖を行う東和水産を事業継承し、トラフグの陸上養殖でも国内最大となった。
【久住】いま手がけているのはバナメイエビ、トラフグ、ヒラメの3魚種ですが、次の事業としてサーモンの陸上養殖にも着手します。宮城県気仙沼市と連携し、2027年3月の完成を目指してプラント建設を進めているところです。近いうちにブリの陸上養殖にも参入する構想を持っています。
ただし際限なく魚種を増やしていくつもりはありません。
現在、日本では、サーモン、マグロ、ブリ、エビ、イカの順で消費されています。あまり泳ぎ回らないエビやヒラメは陸上養殖に向いている一方で、回遊するマグロやサバは難易度が高いと考えています。需要の大きい魚介類の陸上養殖ノウハウを確立し、標準化して他社に提供できれば、新規参入する企業はさらに増えていくでしょう。
目指すのは、水槽などの設備から、AIによる水質管理、独自開発の餌までをパッケージ化した「養殖プラットフォーム」の提供です。本格展開に向けて、現在は磐田でのデータを研ぎ澄ませている段階。これを導入すれば、土地や空き倉庫を持つ企業が、経験ゼロからでもエビなどの水産物の「生産」を開始できる。私たちはエビなどの水産物を売る会社から、誰もが水産業に参入できるインフラを作る会社へと、フェーズを変えようとしています。
■陸上養殖は寿司業界を、日本の食卓を変える
実は、すでに食品メーカーなどから、自社で使用するエビをまかなうために、陸上養殖事業を始めたいという相談を受けています。世界的な食糧危機が危惧される背景もあり、陸上養殖は海外に展開できる事業へと成長していくポテンシャルがあります。
私の父は大阪で寿司屋を営んでいました。かつてはエビも、タイも、ほとんどが天然物で、病気や環境変化の影響を大きく受けて漁獲量が安定しませんでした。そのせいで、価格の変動が激しい上、いつでも食べられるとは限らなかった。
もっと早く陸上養殖の技術が確立できていれば、父の店も……いえ、寿司業界全体が変わっていたかもしれません。
私は、子どもの頃、父に連れられて魚市場へよく通いました。いつかは食に関わる仕事がしたい。そんな思いを抱いたのは、幼い頃から魚が身近だった環境にあったからです。
学生だった90年代にインターネットや携帯電話、PowerMacやWindows95が登場し衝撃を受けました。「これからは通信の時代だ」と感じて、通信インフラ企業であるNTTに就職しました。それでも、将来は食に関わりたいという思いはずっと燻っていました。
食と通信インフラ――。その二つが重なった先にあったのが、フードインフラとなる陸上養殖事業だったのです。
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山川 徹(やまかわ・とおる)
ノンフィクションライター
1977年、山形県生まれ。東北学院大学法学部法律学科卒業後、國學院大学二部文学部史学科に編入。大学在学中からフリーライターとして活動。『国境を越えたスクラム ラグビー日本代表になった外国人選手たち』(中央公論新社)で第30回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。著書に『カルピスをつくった男 三島海雲』(小学館)、『最期の声 ドキュメント災害関連死』(KADOKAWA)などがある。最新刊に商業捕鯨再起への軌跡を辿った『鯨鯢の鰓にかく 商業捕鯨再起への航跡』(小学館)。
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(ノンフィクションライター 山川 徹 取材・構成=ノンフィクションライター・山川徹)

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