駅の改札がどんどん進化している。JR西日本は大阪で、タッチがいらない顔認証改札機の実証実験を始めた。
実際に体験した鉄道ジャーナリストの東香名子さんは「設置されたカメラに目線を合わせるだけで改札を通過できる。クレカタッチも広がりつつあり、交通系ICカードは生き残り策を見つけることが急務となる」という――。
■「交通系ICカード」は時代遅れのガラパゴスか
2001年にSuicaが登場して以来、駅の風景は劇的に変わった。切符を買うために券売機に並ぶ必要はなくなり、ピッとタッチするだけ。自由に移動できる魔法のカードは、瞬く間に社会に普及した。しかし今、その絶対的な王座が揺らいでいる。
かつて「0.2秒」という驚異的な決済スピードは、世界一の混雑を誇る日本の鉄道インフラの誇りであった。だが現在、もはや「専用の交通系カード」自体が時代遅れのものになりつつある。
日本で主流の交通系ICカードは、特定のネットワーク専用に閉じられた仕組みである。利用者はあらかじめ専用カードを入手し、現金をチャージする手間を強いられる。
世界に目を向ければ、イギリス・ロンドンでは、2014年の時点でクレジットカードをそのまま改札にタッチして乗車する方式がスタンダードとなっている。クレジットカードのタッチ決済であれば、専用カードの購入もチャージも一切不要。
普段使っているカードがそのまま乗車券になる。
日本のJRや私鉄でもクレカ決済の動きが広まっている。交通系ICカードを入手してチャージすることは、もはや時代遅れの「ガラパゴスな儀式」ともいえるのだ。
■タッチすら不要の世界がやってくる
いや、そもそも、改札にカードをタッチして乗ること自体が、すでに時代遅れの行為なのかもしれない。世界を見渡すと、カードやスマホすら取り出さない「手ぶら乗車」が現実のものとなっている。
その筆頭が中国だ。深センでは2019年から地下鉄の主要駅で顔認証が導入され、カメラを見るだけでゲートが開く光景が日常となった。また北京では2023年から、手のひらをかざすだけで決済が完了する「掌紋(しょうもん)認証」の運用が始まっている。まるで未来の世界ではないか。
もちろん、日本もガラパゴスのまま指をくわえて見ているわけではない。「顔認証」や「ウォークスルー」の技術を兼ね備えた最新鋭の改札の導入が加速している。
■国内で続々と始まる「顔パス改札」
先駆けは、千葉県を走る山万ユーカリが丘線だ。
2024年に日本で初めて全駅に顔認証システムを本格導入し、磁気乗車券を完全に廃止した。
都市部では、大阪メトロが2025年の大阪・関西万博に合わせて大規模展開を行い、ほぼ全駅での顔認証を定着させている。また、京成電鉄の「スカイライナー」では、チケットを予約購入する時に顔情報を登録することで、顔パスで乗れる仕組みをスタートさせた。
こうした全国の動きに、Suicaの生みの親であるJR東日本も決して手をこまねいているわけではない。Suicaのシステムを再構築する「Suica Renaissance(スイカルネサンス)」という巨大なプロジェクトを推し進めており、そのなかで物理的なタッチをなくす未来を描く。
同社は2025年末から2026年春にかけて、上越新幹線の新潟駅と長岡駅で顔認証改札を、2027年春には広域品川圏5駅でウォークスルー改札の実証実験をするとしている。カードをタッチしない改札は日本にも広がりつつあるのだ。
■顔認証は本当に便利か、いざ体験!
顔認証の改札、実際はどうなのか。現在JR西日本が実証実験を行なっている顔認証改札機を体験してさせてもらった。
同社は2026年3月、大阪駅や新大阪駅において、既存のIC改札機にカメラを2台設置した改札機を設置した。新たな改札を新造しなくても、今ある改札にカメラとシステムを設置するだけならばコストダウンにつながる。
「ストレスフリーな移動を実現することが私たちの目指す姿です。
顔認証ならば、荷物で両手が塞がっていても通れるし、カバンからカードを出す手間がありません」と話すのは、JR西日本のデジタルソリューション本部戦略企画(交通ソリューション)の稻田辰昭さんと、鉄道本部施設部機械課(出改札)の中桐靖智さん。
今回2回目となる実証実験の最大の焦点は、実用性の検証だ。「朝のラッシュが発生するエリアへの設置は初の試みです。大阪駅や新大阪駅の流動が激しい場所に設置し、激しい混雑にどこまで耐えうるのかを見極めていきたい」と語る。
■早歩き、スキップで通っても問題なし
筆者は、顔認証の改札は初体験である。そもそも、本当に通れるのか。何もしないで改札を通るのは、謎の背徳感にかられ、ドキドキするものだ。
恐る恐る歩き出し、設置されたカメラに目線を合わせる。すると瞬時に筆者の顔を認識し「ピッ」という音がした。そしてゲートが閉まることなく、さっと通ることができた。「これはすごい」という驚きが1番に、「ほっ」という安心感が2番目にあった。
精度も良好だ。
通常の歩行スピードはもちろん、やや早歩きでも問題がない。ラッシュ時のように、前の人と距離を詰めても大丈夫。「あまりに密着しすぎるとカメラに死角が生まれますが、1メートル弱ほど距離が空いていればスムーズに通過できます」と中桐さんは言う。
筆者は嬉しいことがあった日を想定し「ホホホ」とスキップしながら通ってみたが、無事にシステムは正確に反応した。
一言でいうと「楽ちんの極み」である。カードを取り出すのと取り出さないのには、大きな違いがある。両手に荷物を持っている人、あるいはベビーカーを押している人、杖を突いて歩く人など、メリットは計り知れない。
もはや「改札を通る」という意識そのものが消えた。物理的なデバイスに縛られてきた時代からの解放である。
■現時点では「ICカード」が決済の主軸
現在の実証実験の登録数は約200名にのぼり、月に約1000件の利用があるという。
「通勤通学の方や、新技術に興味がある方にお試しいただいています。『ハンズフリーで通れるのがいい』という声が届いています。
皆さんがこうした世界に慣れていけば、改札前での滞留もなくなるはずです」とのこと。
今後、改札機はどうなっていくのか。
「お客様の属性によって求められるサービスは異なります。定期利用者もいれば、インバウンドの方もいる。多様なニーズに最適解を提示することが重要です。また現在、世の中では交通系IC、クレジット、QRコードなどで乗れる鉄道路線が登場してきておりますが、選択肢を増やしすぎると逆に分かりづらくなってしまいます。
理想は一つの方式への集約ですが、現時点ではやはりICカードが決済の主軸と考えます。処理が圧倒的に早く、日本人の生活に深く根付いていますからね。
今回顔認証の実験をしていますが、この手法に固執しているわけではありません。今後も技術の発展に合わせ、柔軟に手段を検討し続けていきます」とのことだ。
改札の形は時代に合わせて変わる。今回の取材で肌で感じたことである。

■我ら客が求めるのは「一番得で楽な方法」だ
切符を買っていた時代から、交通系ICカードのタッチに代わり、そのタッチすら消えようとしている。
鉄道会社は、ただ鉄道を運行するだけにとどまらず、ユーザーのライフスタイルに寄り添う「サービス業」への転換を図っているが、多彩なこうしたサービスは「誰のためのものか」という視点も忘れずにいたい。
交通系ICにしろ、その他決済サービスにしろ、鉄道会社側にはコストの削減や顧客データの囲い込みという経営上の大きなメリットがあるだろう。一方で、ユーザーにとってベストなのは「一番楽な方法」。なんなら「一番お得で楽な方法」がもっとも理想の形だ。
確かに、顔認証はとても楽だ。あれを一度経験すると、タッチに戻れなくもある。しかし、顔認証を利用するには新たな登録など、ユーザーにとっては少なからず手間が発生する。「登録が面倒だからSuicaのままでいい」あるいは「クレカタッチでいいよ」と言われてしまえばそれまでだ。
クレジットカード決済が広がりを見せるなか、交通系ICカードはますます土俵際に追いやられると筆者は考える。「鉄道に乗れる」というだけでは、ユーザーを繋ぎ止めることはできない。自発的に「これを使いたい」と思える仕掛けが必要だ。
「顔認証で通れば運賃が安くなる」「乗れば乗るほど日常生活がお得になる」といった、ほかの決済サービスには真似できない、強烈に魅力的なサービスを期待したい。改札の常識が変わりゆく今、鉄道会社の真価を問う戦いは、これからが本番だ。

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東 香名子(あずま・かなこ)

コラムニスト

鉄道コラムニスト。鉄道トレンド総研所長。メディアコンサルタント。外資系企業、編集プロダクション、女性サイト編集長を経て現在フリー。メディア出演多数。著書に『超タイトル大全 文章のポイントを短く、わかりやすく伝える「要約力」が身につく』ほか。

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(コラムニスト 東 香名子)
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