立命大硬式野球部のエース、有馬伽久(がく)投手(産業社会学部・3年)が9月6日から始まる関西学生野球秋季リーグ戦で、2019年春以来の優勝と、防御率0・00の完璧投球を目指す。今春のリーグ戦で最優秀投手賞に輝き、日米大学野球選手権大会の侍ジャパン大学代表にも選ばれたMAX151キロ左腕。

「東2世」が初の大学日本一とドラフト1位でのプロ入りをも実現させる。

 秋のリーグ戦の開幕が迫った朝の立命大・柊野グラウンド(京都市北区)。有馬は黙々と、1球1球のクオリティを高める練習に励んでいた。「夏になると体の動きが悪くなったり、暑さに弱い部分がある。厳しい暑さが残る中で、状態をうまく上げていきたい」と、リーグ戦に目を向けた。9月6日からの開幕カードは関大(わかさスタジアム京都)。そして13日からは近大(ほっともっとフィールド神戸)との戦いが続く。「非常に大事な2カードになってくると思う」と、エースの自覚を漂わせた。

 今春のリーグ戦で、その潜在能力が一気に花開いた。第1節の1回戦、関大を相手に107球で3安打完封勝利。13三振を奪う快投だった。第5節の関学大2回戦では延長12回を投げ切り、1失点完投。

計8試合に登板し、リーグ最多となる55回1/3を投げ、防御率1・79、リーグトップの67奪三振も記録し、4勝(2敗)をマークした。初の最優秀投手賞も受賞。それでも、自身は納得はしていない。「最後、勝ち切れなかった。まだ、やらないといけないことがたくさんある。課題がすごく残ったシーズンだった」と、悔しそうに振り返った。

 勝負所で先発した第4節の近大1回戦で、3点のリードを守りきれずに逆転負け。3回戦でも敗れ、重要な一戦で勝ち点を落とした。最後の伝統の「立同戦」は意地を見せたが、優勝した勝ち点5の近大に続き、同4の2位に終わった。それでも、一昨年春の屈辱の10戦全敗から昨秋は3位、そして今春はまたひとつ階段を上がる2位に。「課題も残りはしたけど、手応えを得られたのも事実。一番、自信がついたのはコントロール」と左腕は言い切る。

昨秋は40回投げて四死球は17。それが今春は55回1/3を投げて13与四死球。「先発として長いイニングを投げ切り、試合のリズム、流れを作るためには四死球を出さないこと。コントロールを心掛け、テンポ良く投げられたところは、自分自身の成長を感じられた」とうなずいた。その結果が、関西勢ではふたりだけ(ほかに近大・勝田成内野手)、3年生では7選手だけ選出された侍ジャパンの大学日本代表入りだった。

 合宿に初めて参加したときは「周りの選手のレベルが高くて、そんなハイレベルな中で結果を残している人ばかり…」。対戦したいと話していた今秋のドラフト1位候補の創価大・立石正広内野手(4年、高川学園)にも紅白戦で投げ(結果は中前安打)、同じ3年の青学大・渡部海捕手(智弁和歌山)にはブルペンで投げ込んだ。キャッチボールの相手をした同じ年の187センチ右腕ストッパー、青学大・鈴木泰成(東海大菅生)のボールには「球が強く、伸びもすごくて手元に来ても落ちない。3年とは思えない落ち着きでメンタルも強い」と、学ぶことができる選手が数多くいたという。中でも今秋のドラフト上位候補の青学大の強打者、小田康一郎内野手(4年、中京)は「バッティングが柔らかくて、どんな投げ方の投手でも、すべての球種にも対応できる」と、最も目を見張ったそうだ。

 本番では第5戦の神宮で登板し、2イニングを投げて1失点。「このような大きな舞台になると、制球が乱れてしまったり、決め切らないといけない時に球が浮いたりする。

どんな場面でも自分の一番の投球をできるようにしたい」と、痛感しながらも「対戦したアメリカより、日本のメンバーがすごくレベルが高かったので、そごく勉強になる時間だった」。さらにレベルアップするため、大きな収穫を得た侍ジャパン、大学日本代表での日々だった。

 奈良・田原本町の平野小1年の時、2歳上の兄・蓮さんの影響を受け、少年野球の平野パイレーツで野球を始めた。左投げのためすぐに投手に。小学校時代は県ベスト8が最高だが、田原本中では3年連続県大会準優勝。兄ともバッテリーを組んだ。3年の時に県選抜メンバーに選ばれ、全国大会に出場した。練習試合で対戦した三重県のチームの監督の縁で、愛工大名電の倉野光生監督を紹介された。「最初は地元の有力校へ進学しようと思っていたけど、(愛工大)名電と聞いて、イチローさんがいたような、そんな強豪校に行っていいんかな…と思った」。だが、練習体験に行き、一瞬で進学を決めた。「施設が本当に素晴らしいんですよ。野球だけに打ち込める環境。

監督さんの人柄も良く、自分が成長できると感じた」と、まさに即決だった。

 イチローさんが米野球殿堂入りの際に「高校時代は地獄」とスピーチしたように、「2段ベットが25ある、野球部全員の50人部屋で寝る寮の生活はしんどかった。1年生16人で上級生の世話は大変。本当に地獄でしたね。毎日、朝練の学校への8キロランニングも」と笑う。スマホも当然NG。しかし、入寮して1、2週間でコロナ禍のため緊急事態宣言が発令された。「すぐ実家に戻ったりして1人で練習。しばらく上級生と一緒にならなかった」のは、初めて環境の違う高校野球に取り組む上で、少しだけでも気持ちが楽になったのかもしれない。

 2年まではマウンドに立たない時は右翼手。2、3年の時に夏の甲子園に連続出場し、エースとなった3年は41年ぶりのベスト8に導いた。2回戦では八戸学院光星相手に7回途中降板。

延長10回にサヨナラ勝ちを収めたが「もう(高校野球は)引退かなと頭をよぎった。味方が逆転してくれて、その後も甲子園で野球ができたことが一番印象に残っている」と、声を弾ませる。「3年間、苦しかったけど、成長もできた3年間。高3の春に投球の感触をつかんで、これでいけるぞ…と」。そして、その後の進路も自分で手繰り寄せていた。

 「地元は関西だし、歴代、左の好投手を輩出し、高校の先輩でもある東さんが在籍していた」立命大への進学は、高校時代に早くから申し出ていた。それほど、心の中で同じ左腕のDeNAベイスターズのエース、東克樹投手(29)の存在が大きかった。甲子園を決めた時は東から直接、激励の電話をもらい、甲子園で戦いを終えた時は食事に誘われ「(進学が決まっていた)立命館でも頑張れ」と、グラブもプレゼントされた。その選択に間違いはなかった。

 午前中の練習のほか、柔軟性を高めるために週6日、京都市内のジムに通う。月1回は中学の頃から通う奈良県内の治療院で体の使い方を再認識するなど、向上心は尽きない。「近大には春の借りを返す。

特別感のある同志社には燃えるものがあるし、最終節の同志社戦を取って、優勝を決めたい」。秋の目標はもちろん13季ぶりのV。防御率も「0・00」のハイレベルな数字を目指す。尊敬する東は大学時代、19勝9敗。防御率1・05、235奪三振の数字を残した。「東さんの勝ち星は超えたい」と、言葉に力を込めるように、現在、通算6勝10敗で防御率1・98、奪三振は143。残り3シーズンですべての数字をクリアする可能性は十分にある。「チームとして全国大会で優勝した経験がないので、リーグ優勝してまず全国に出場し、卒業するまでに大学日本一を取りたい」。春の全日本大学野球選手権大会、秋の明治神宮野球大会で、史上初めて頂点に立つことも、大きな目標のひとつだ。

 その先の大学生活のゴールには、ドラフト1位でのプロ入りも明確なビジョンとして描く。3年生の不動のエースとして臨む、この秋のシーズン。ストレート、スライダー、ツーシームのほかに、緩い球で打者のタイミングを外す「チェンジアップ」の完全マスターに取り組み、ストレートのスピードにも磨きをかける。チームの全国優勝のほかにも、まだやり残したものがもうひとつ。「大学ジャパンのエースになり、日本を代表する投手になる」。旧関西六大学リーグを含め39回の優勝と創部102年を迎える名門、立命大が喫した1年前の全敗から、関西王者、そして日本一へ駆け上がるサクセスストーリーは、「東2世」の有馬が完結させる。

 ◆有馬 伽久(ありま・がく)奈良県出身。小学1年から野球に取り組む。幼い頃から父・久仁郎さん、兄・蓮さんとよくキャッチボールをしたそうだ。愛工大名電では2、3年の時、夏の甲子園に出場。3年ではエースとしてチームを41年ぶりのベスト8に導いた。立命大へ進み、1年春からベンチ入り。2年秋の関大戦で初勝利を挙げ、今春は4勝をマークし、最優秀投手賞を受賞。侍ジャパン大学日本代表にも選出された。大学の寮は2人部屋で、高校より上下関係などもかなり楽だという。チームメートでは地元が一緒の福井一颯内野手(3年)とは特に仲が良いそうだ。昨年から片山正之監督(元トヨタ自動車監督)が就任し、昨春の6位、秋の3位から今春は2位に浮上した。高校、大学の先輩、DeNA・東を尊敬し、目標とする。「東さんは後輩にも気配りができ。自分もそういう先輩になりたい」と話す。好きな食べ物は焼肉で、嫌いな食べ物はチーズ。高校の同期16人とは今でもLINEグループでつながり親しい。弟の凛人さん(高1)も鳴門渦潮で投手を務める。身長175センチ、体重77キロ。左投げ左打ち。

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