沖縄で開催され、14日に閉幕した「ラグザス presents 第32回WBSC U―18野球ワールドカップ」では、侍ジャパン高校日本代表の20人に2人の道産子が選出され、準優勝に貢献した。現地で日本代表の全試合を取材した加藤弘士編集委員が、その奮闘を前後編の2回にわたってリポートする。
世界最強打線と渡り合えた充実感と、頂点にたどり着けなかった悔しさ。胸中にはその二つがあった。決勝の米国戦を終え、那覇の夜風に吹かれながら、石垣は熱投を振り返った。「準優勝できたということはうれしいですし、本当に楽しかったです」。胸に輝く銀メダルが誇らしかった。
0―1の4回1死一、二塁で先発の左腕・末吉良丞(沖縄尚学2年)からバトンを託された。直球で押し、危機を脱した。だが5回、3四死球と制球を乱し、1死満塁から左犠飛で2点目を献上した。チームは0―2で敗れた。「まだまだ力不足。でも指にかかったストレートは、世界で通用すると感じました」。
昨秋の関東大会準々決勝・佐野日大戦では等々力球場の電光掲示板に「158キロ」を表示させた。2年生史上最速だった済美・安楽智大や大船渡・佐々木朗希の157キロを1キロ更新した。同球場はアマ野球記者やスカウトの間では「スピードガンが甘い」とも言われていた。石垣自身も受け止めは謙虚だった。「そんなに出てないと思うんですけど。MAXで53、54あたりかと」。だが高校最後の公式戦で、落とし前をつけた。石垣は紛れもなく、「最速158キロ」の剛腕だった。
全て救援で3試合に登板し、7回1/3を投げて自責1の防御率0・95と重責を全うした。
◆石垣 元気(いしがき・げんき)2007年8月16日、登別市生まれ。18歳。幌別西小1年で軟式野球を始め、登別西陵中在籍時は洞爺湖シニアに所属。2年夏から投手。健大高崎では1年春からベンチ入り。甲子園には2年春から4季連続で出場。2年春のセンバツは優勝、3年春は4強。
【編集後記】ストイックな“甲子園”とは、いささか趣が違う。侍ジャパン高校日本代表の取材は3年連続になるが、大会期間中は選手たちと報道陣も近い距離で「ワンチーム」となり、世界列強に立ち向かうのが特徴的だ。石垣の周囲には常に仲間が集い、一体感の醸成に一役買っていた。試合前の横浜・奥村頼人と談笑する石垣にカメラを向けると、満面の笑みの奥村とは対照的に、キリリと引き締まった表情。シャイな人柄がうかがわれた。
宿舎では大阪桐蔭のエースで主将を務めた最速150キロ右腕・中野大虎(3年)と同部屋。急造チームの一体化に心血を注ぐ中野に「コミュニケーション能力が高いので、尊敬します」と刺激を得た様子だった。
正捕手の山梨学院・横山悠(3年)は石垣の球を受け「真っすぐが球速以上に感じます。そこからまた一つ伸びてくる。本当に一級品」と明かした。