沖縄で開催され、14日に閉幕した「ラグザス presents 第32回WBSC U―18野球ワールドカップ」では、侍ジャパン高校日本代表の20人に2人の道産子が選出され、準優勝に貢献した。加藤弘士編集委員の現地リポート後編では、釧路市出身の左腕・下重賢慎(健大高崎3年)にスポットライトを当てる。
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生まれ育った釧路から遠く離れた那覇で、18歳の誕生日をこんなに祝ってもらえるとは―。下重は沖縄セルラー那覇の客席に向かって、満面の笑顔で手を振った。9月13日、台湾戦に勝った後だった。スタンドではトランペットで「ハッピーバースデー」が演奏され、手拍子は球場全体に広がった。「自分の人生の中でも、こんなことはこれから先、あるかないかだと思う。感謝したいです」。ウチナンチュの優しさに礼を述べた。
18歳が始まる大切な日に、先発マウンドを託された。前回大会で準優勝した強敵・台湾とのマッチアップ。力強いストレートとスクリューボールなどの切れ味鋭い変化球で立ち向かった。
「自分がここまで成長できると思っていなかった」と素直な思いを吐露した。2年春のセンバツ。健大高崎は佐藤龍月、石垣元気の2年生コンビが活躍し、初優勝を遂げるが、下重はベンチには入れず応援部隊だった。2人の背中を追いかけ、鍛錬を積んできた。
最速145キロの直球と多彩な変化球、抜群の制球力とスタミナが武器。2年夏から3季連続で甲子園の先発を託されるまでになった。大崩れしないその姿が、高校日本代表・小倉全由監督(68)=前日大三監督=の目に留まった。
進路は進学を希望。4年後のプロ入りを目標に牙を研ぐ。高校ジャパンから大学ジャパン、そしてトップチームへ―。夢は広がる。さらに進化を遂げ、再び日の丸のユニホームに袖を通す。
◆下重 賢慎(しもしげ・けんしん)2007年9月13日、北海道釧路市生まれ。18歳。美原小3年から美原ベースボールクラブで野球を始め、美原中では釧路シニアに所属。健大高崎では2年春からベンチ入り。2年夏の群馬大会では10者連続奪三振の群馬大会新記録を達成。
【取材後記】天敵は最高の仲間になっていた。今春センバツ準決勝の横浜戦。下重は先発したが、4回途中を6安打2失点で降板。石垣元気にバトンを渡すも、1―5で完敗し、センバツ連覇の夢は破れた。その横浜からは今大会、日本代表の20人中、4人が選出された。下重は主将の阿部葉太や左腕・奥村頼人らと積極的に会話を重ね、交流を深めた。
「ライバルとしてやってきましたが、特に阿部は人として尊敬している部分があるので、この機会を大事にして仲良くやっています。野球をやっている時と、やっていない時の切り替えの上手さや、取材でも堂々としている。参考にしています」。昨日の敵は今日の友。
今回の高校侍のほとんどが進学希望。学校は違えど、切磋琢磨(せっさたくま)は続く。「短い期間だったんですが、本当に仲が良くて、絆が深いチームでやれて良かった」と下重。日本代表で積んだ多くの経験を力に変え、野球道を突き進む。いつか故郷の北海道へ、たっぷりと恩返しする。