今春、調教師に転身した和田竜二元騎手の引退式が4月26日、全レース終了後に京都競馬場のウィナーズサークルで行われた。恩師・岩元市三元調教師、武豊騎手、競馬学校「花の12期生」の同期・古川吉洋騎手、常石勝義元騎手、福永祐一調教師らが花束を贈呈。

騎手仲間、関係者をはじめ、会場に詰めかけた大勢のファンからも温かい拍手が送られた。1月11日の京都1Rの落馬負傷により、騎手免許の有効期限である2月28日までに騎手として復帰することはかなわなかったが、笑顔でジョッキー人生に区切りをつけた。

 和田竜元騎手は1996年にデビュー。1年目のステイヤーズS(サージュウェルズ)で重賞初制覇を飾ると、1999年に師匠の岩元師が管理したテイエムオペラオーで皐月賞を制し、G1初勝利を挙げた。その後、盟友・オペラオーとのコンビで史上初の天皇賞3連覇(2000年春秋、01年春)を達成。2000年には当時の古馬中長距離G1(天皇賞・春、宝塚記念、天皇賞・秋、ジャパンC、有馬記念)を完全制覇した。30年間の騎手生活でJRA通算22176戦1534勝。G1・8勝を含む重賞50勝を積み重ねた。

 和田竜二元騎手「まず、今日は、お静かに見守っていただき、落ちなくて良かったです。ありがとうございました。

 本来なら、2月28日まで、騎手を全うして、30年間の思いを、ファンの人と、家族の前で、見せたかったのですか、怪我で乗れず、正直残念な気持ちも、ありましたけども、また健康な体で、次の道へ向かえるということに、日々感謝して、過ごしてまいりました。

 本当にたくさんの名馬に乗せていただいて、思い出もたくさんありますけども、天皇賞のテイエムオペラオーで勝利した時には師匠の岩元先生が、一番勝ちたいレースは天皇賞だとおっしゃっていましたので、これまで苦労をかけた分、勝利を送ることができて、ずっと乗せて続けてくれたオーナーと、岩元先生に、少しでも恩返しができたのではないかという、思いがありました。

また、今日、騎乗したディープボンド号では、3回目の天皇賞で、また2着に負けてしまいましたけれども、お客様はディープボンドの一生懸命な走りをたたえてくださって、温かい拍手で迎えてくださり、その時、僕は悔しくて、あまり、皆さんの期待に応えられませんでしたけども、改めて、この場を借りてお礼を言いたいと思います。ありがとうございました。

 騎手クラブの方々には、たくさん迷惑をかけて、後輩にも色々、やらせてしまったりしたので、もう自分が体を張って、最後まで、騎手クラブを盛り上げようっていう気持ちではやってきました。30年間誰も後を継いでくれず、最後まで、やる羽目になりましたけれども、ファンの方も、騎手クラブの後輩たちも、温かい目で滑り続けた僕を、ずっと支えてくれましたので、頑張ることができました。

 (今後は)やっぱりここにいる騎手の皆様が、喜んでくれるような、ずっぶい馬を作りたいと思ってます。よろしくお願いします。

2か月遅れにも関わらず、引退式に、これだけのたくさんのお客様に集まりいただき、ありがとうございました。私には、師匠の岩元先生からいただいた、大切な言葉がありました。それは、自分の心に曇りを感じることはするなという言葉です。その言葉を胸に、30年間、一鞍一鞍、大事に勤めました。時には辛い思いもし、自分を見失うこともありました。それでも、多くの方々、皆様の温かい声援、これだけたくさんの方に集まっていただき、自分の騎手人生は、師匠の教えを守れた騎手人生だったと、改めて感じることができました。

これも、皆様の応援のおかげでございます。長きに渡り声援、ありがとうございました」

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