身長173センチ、体重67キロ。その右投手がマウンドに立った際、あまりに平凡なシルエットに胸に響いてくるものはなかった。
── これが噂の「スーパー1年生」か......。
【高校野球界隈をざわつかせた大阪学院大高への進学】
甲子園球場で熱戦が繰り広げられていた8月のある日、大阪学院大高の野球場では新チームの練習試合が行なわれていた。大阪学院大高の先発マウンドに上がったのが、1年生の林将輝(しょうき)。北海道・日高リトルシニアでは侍ジャパンU−15代表に選出。日本代表の中心投手として、U−15ワールドカップ初優勝に貢献している。
名だたる名門が林のスカウトに乗り出したが、進学先として選ばれたのは大阪学院大高。林の選択は、高校野球界隈をざわつかせた。
大阪学院大高は甲子園出場1回、しかも1996年春を最後に甲子園に出場できていない学校だ。とはいえ、2023年に辻盛英一監督が就任後は上昇気流に乗っており、2024年春には大阪大会で履正社、大阪桐蔭を破って優勝を飾った。人工芝の野球場、広大な半野外練習場、トレーニングルームなど環境面も充実している。
林は入学直後から公式戦で出場機会を得ていた。早くも注目し始めているプロスカウトもいるという。私は林のパフォーマンスを見るため、大阪学院大高の野球場を訪れることにした。
正直に白状すると、「U−15代表」という肩書きを持った選手であっても、度肝を抜かれた経験は少なかった。すでに野球選手として完成形に近く、スケールをあまり感じないパターン。もしくは、将来性を感じつつも、高校野球で活躍するには時間を要しそうなパターン。林の場合は、その体格から前者なのだろうと推測した。
しかし、投球練習を1球見た段階で、私の浅はかな想像は木っ端微塵に打ち砕かれた。
ボールの軌道が、明らかに普通の投手とは違う。重力など存在しないかのように、ボールが地面を這って捕手のミットを押し上げる。この日の最高球速は143キロだが、その数字以上に体感スピードのあるボールだった。前日まで取材してきた甲子園でも、これだけのボールを投げる投手はいなかった。
林は3イニングを投げ、被安打2、奪三振3、与四死球2、失点0。打力も高いため、降板後は右翼の守備へと回った。
林が投げている間、じっくりと目を凝らした。
「小学生の頃から、きれいな回転にこだわってきました。捕手に向かってボールが伸びていくようなイメージです」
【幼少期からこだわった球の回転】
練習試合を終えた林は、淡々とした口調で答えた。興奮気味に話しかけてくるライターとは対照的に、至って平静な様子である。辻盛監督が「誰に対しても同じような接し方ですよ」と証言するように、常にマイペースなのだろう。
どのようなリリース感覚でストレートを投げているのか。そう尋ねると、林は少し考えてからこう答えた。
「ボールを離す瞬間に、ガッと引っかける感じです。かかりが甘いとボールが1~2個分浮き上がっちゃうんですけど、しっかりとかかるとローボールになります」
父・誠さんは駒大苫小牧で三塁手としてプレー。当時の香田誉士史監督(現・駒澤大監督)から指導を受けている。
林の取材をするにあたり、下調べをするなかで「指先感覚を磨くためにピアノを習っていた」という記事を発見した。ピアノが与えた効果は大きかったのか。そう尋ねると、林はきっぱりと答えた。
「いや、それはないです」
生まれ育ったのは、北海道道央にある日高郡新ひだか町。2006年に静内町と三石町が合併してできた町だ。故郷について聞くと、林はこう答えた。
「けっこう田舎のほうだと思います。有名なのは馬とか、桜並木とか。食べ物は昆布が有名ですね」
北国出身者特有の、のんびりとしたムードはない。大阪へ来て、関西人のガツガツとしたノリに戸惑ったことはないのか。そう尋ねても、林は「ないです」と即答した。
「たまに関西弁がわからなくて『何言ってんの?』となるけど、全然大丈夫です。面白い人が多いので、新鮮で楽しいですね」
【周囲の雑音はまったく気にならない】
なぜ、進学先は大阪学院大高だったのか。そう尋ねると、林はトーンを変えずにこう答えた。
「甲子園に行くことより、『自分は将来プロになる』という思いが強かったんです。中3の夏に大阪学院の練習を見に来て、最初は『とにかく環境がすばらしいな』と。あとは自主練習の時間が長くて、自分のやりたいことができると思いました」
有望選手の進路決定までのプロセスでは、「〇〇監督に教えてもらいたいから」「仲のいい知り合いがいたから」など、人物が決め手になったケースをよく聞く。
だが、林からは「このチームに入れば、自分をうまくしてくれる」といった他人任せの思考はまったく感じられなかった。「自分がうまくなるために、このチームに入る」。そのシンプルな思いから、大阪学院大高を選んだだけなのだ。辻盛監督は「精神的に自立していますよね」と林を評する。
一方、周囲からは「甲子園常連校に行ったほうがいいのに......」などと、否定的な声も聞こえてきたという。それでも、林は気丈にこう語った。
「周りが何と言おうと関係ないんで。
並みの15歳とは、くぐってきた場数が違う。U−15代表では南アメリカ大陸北西部に位置するコロンビアへと飛び、厳しい戦いを経験してきた。
「治安が悪いから、外を出歩かないように言われていました。あとは食べ物が全然合わなくて、体重が3キロ減りました」
それでも......、と林は続けた。
「野球をすることは日本でも、コロンビアでも同じなので。別に大きく変わったことはなかったです。マウンドとか環境も大丈夫でした。観客の声に少し戸惑ったくらいで。バックネット裏で観客が踊ったりしていて、日本とは雰囲気が全然違ったので。マウンドでは『とりあえず冷静に投げよう』と思っていました」
そのような経験をしているからこそ、北海道が大阪に変わったくらいでは動じないのだろう。
【この夏に浴びた高校野球の洗礼】
ところが、林は初めての夏の大会で、高校野球の洗礼を浴びることになった。
今夏の大阪大会。下馬評では有力校のひとつに数えられた大阪学院大高だが、4回戦で近大付に6対10で敗れている。この試合に2番・一塁手として出場していた林は、5対2とリードして迎えた7回裏にリリーフ登板。思うような投球ができなかった。
「7~8割で投げることを意識して、ストレートもスライダーもキレは悪くなかったんです。でも、結果としてはよくなくて。なぜかストライクが入らなくて、フォアボールを出してしまって。ランナーをためた状態で交代になってしまいました」
打者4人と対戦して、1アウトしか取れずに2失点で降板。その後はリリーフ陣が打ち込まれ、大阪学院大高は逆転負けを喫した。林は夏の高校野球に漂う独特なムードを感じ取っていたという。
「流れの怖さを感じました。バッティングも打てなかったし、投げても結果が全然よくなくて。『3年生に申し訳ない』という思いが大きかったです」
U−15ワールドカップで世界一になっても泣かなかった男は、大阪大会で敗れたことで涙を流した。
それでも、林はすでに次の目標に向かって切り替えている。
「秋は、夏の悔しい思いを絶対に繰り返さないようにしたいです。ピッチングだけでなく、バッティングでもチームを引っ張っていかないといけないと思うので、強い気持ちを持って戦っていきたいです」
辻盛監督によると、林を野手として評価するスカウトもいるという。大阪学院大高は動作解析担当コーチを置くなど、さまざまな角度から選手の技術向上をサポートしている。辻盛監督は「林は動作解析にハマったみたいで、バッティング練習ばかりしているんです」と苦笑する。
とはいえ、林は「将来はピッチャーでプロに行きたい」と口にする。山本由伸(ドジャース)のように、上背はなくても球の質で勝負できる投手を目指している。
「まずは高校で体を大きくして、プロで勝負できる球質、コントロールを身につけていきたいですね。身長もまだ完全には止まっていないので、上にも横にも大きくしていきたいです」
群雄割拠の大阪で、北海道からやってきた「スーパー1年生」は真価を発揮できるのか。そのストレートを1球でも見れば、林将輝という投手がただ者ではないと理解してもらえるはずだ。