◆果敢な身体芸がもたらす陶酔
高所恐怖症とはよく聞くが、高所嗜好(しこう)症の芸人もいるのだろうか。
舞踊評論家の泰斗による本書は、サーカスのテントの内部にとどまらず、ナイアガラ峡谷やニューヨークの世界貿易センタービルなどにパフォーマンスの場を求めた綱渡り師たちの列伝である。
何より「行為」によって得られる名声と陶酔感こそが、無謀にも見える冒険を支えている。見上げる観客の私たちには、決して踏み込めない秘奥の存在が浮かび上がってくる。
唯一無二であるはずのブロンディンは、多くの模倣者や挑戦者を生んだ。「オーストラリアのブロンディン」や「女ブロンディン」が追従するなかで、ファリーニと名乗る綱渡り師もまた、聖地となったナイアガラを渡った。ところが彼は絶頂期にサーカスの興行師へと転身し、高名なバーナムサーカスに並ぶ成功を収める。団員をはじめ美少年として売り出し、やがて美少女ルルへと変身させる。
さらに19世紀の始祖カールから現代のニックまで、安全策を講じないで危険に挑むワレンダ一族を描く。家系の伝統は多くの墜落死を生んだ。ニックはナイアガラを渡ろうとし、父テリーは公園管理局に対し「見せ物とは違うんです。身体能力の問題です。アーティストの技術の問題です」と力説する件りが痛ましい。芸人の自由や矜恃は、もはや受け入れられぬ。この哀惜の念が本書を貫いていた。
【書き手】
長谷部 浩
1956 年生まれ。慶應義塾大学卒。演劇評論家、東京藝術大学名誉教授。 現代演劇から歌舞伎まで幅広く評論活動を展開。
【初出メディア】
東京新聞 :2025年6月28日 / 2025年6月29日:中日新聞
【書誌情報】
高所綱渡り師たち: 残酷のユートピアを生きる著者:石井 達朗
出版社:青弓社
装丁:単行本(256ページ)
発売日:2025-04-23
ISBN-10:4787274732
ISBN-13:978-4787274731