〈「いや、違うんですよ! 違います」
慌てふためくヤスオに、男がその場にはそぐわないヤケにのんびりとした口調で聞いた。
「なにが違うんですか?」
「だから、その……自殺とかそういうあれじゃなくて……あ! 景色を見ようとしただけで」〉
なのにこの軽さ。
廃墟と化したデパートの屋上から飛び降り自殺をしようとするヤスオ。その寸前、キョウヤという謎の美青年に見とがめられ、必死に言い訳をする。最初のほうのシーンだ。
〈「タバコ持ってないですよね?」
「すみません、吸わないもので」
「そっか……すいません。吸いません、なんちゃって」
「え?」
「なんでもないです」〉
自殺を阻止したキョウヤとヤスオ、そのしばらく後の会話である。いやいますよこういう四十歳だって。むしろイマドキの人物造型としてはリアルですらあるのかも。
だけど、この超話題作ですよ。若手人気俳優がその栄光を捨てて小説家を志し、賞金2000万円のポプラ社小説大賞を獲ったなあと思ったら賞金辞退したんですよ。
だったらここは、主人公も二十代後半くらいの青年でいいじゃないですか! どうせなら脳内で水嶋ヒロに置き換えさせてよー! てか、ポプラ社さんなぜそこ変えてもらわなかったの? 戦略として考えなかったの? 著者主演の映画とかさ、いろいろ展開しようもあるじゃない?(ん? キョウヤが美青年なのが保険?)
なのにどうしてヤスオは、〈そりゃあ確かに営業マンとしてはそんなに冴えなかったかもしれないけどさ、それでも十年以上会社に忠誠を尽くして働いてきたんだよ〉というバブル入社組の冴えないリストラオヤジなんだあ!? と、頭の中に「?」がとぐろが巻いた状態で読み進んでいくわけです。
と、ここまで。
『KAGEROU』って発売前情報とかなり印象違いませんか? だって記者会見で内容について話されたときは、ひたすら深刻で真面目、「命です」「自殺防止です」ってことしか頭に入ってこなかったし、予約開始時にamazon に掲載された「内容紹介」では、
〈『KAGEROU』ーー儚く不確かなもの。
廃墟と化したデパートの屋上遊園地のフェンス。
「かげろう」のような己の人生を閉じようとする、絶望を抱えた男。
そこに突如現れた不気味に冷笑する黒服の男。……〉
と来たもんだ。ツイッターのタイムラインに
「『KAGEROU』の内容紹介から中二病な漢字だけを抜くと「儚」「廃墟」「屋上」「遊園地」「かげろう」「人生」「絶望」「冷笑」「黒服」……」
みたいなツイートが流れて来たときは爆笑したものです。で、あーこういう耽美で自己満足的なよーわからん心象風景みたいなのがえんえん続くやつか、あるある~、あー読みたくねーと思った。
だけどぜんぜん違ったんです。
『KAGEROU』のいちばんの魅力は、なんと「ギャグ会話」だった。
まあ最初の章あたりは新人っぽい気負いというかおおげさな修辞がちょっとくすぐったい。でも、三分の一くらい読み進むと、そういうのはほぼ消えて、テンポのよいコミカルな会話が続いていくのです。自殺に関するうんちくをキョウヤがこんこんと語り、彼の属する謎の組織の全貌が明らかになっていくところなど、気持ちよくつるっつる読めます。
そして、わかりました。
そのコミカルさを象徴するのが、じつは、「ヤスオがなぜ四十一歳なのか」ということだったんです。
いいですか? 本筋にはあんまり関係ないけど、一応ちょっとネタバレなのでご注意。
以下、引用しますよ。やはりキョウヤとの会話です。
〈「とうとう四十一歳になっちゃったか。これでバカボンのパパと同い年だ」
「……すみません、どちらのお父様ですか?
「知らないの? 『これでいいのだ~』ってヤツ」〉
水嶋ヒロ……じゃなくて、齋藤智裕は、これがやりたかったのか!
そう合点がいったとたんこの作者がけっこう好きになりました。
これでいいのだ~。
物語の中心にあるのはたしかに自殺、命。
だけど、ぜんぜん重くないです、だれにでも安心して読めて、オヤジギャグに和む。
そういうチャーミングな新人賞作品でありました。
齋藤智裕って、案外ジュブナイルが似合う作風かもな。……はっ! ポプラ社!(アライユキコ)