折しも篤蔵は、華族会館で修業するかたわら、英国公使館でもシェフの五百木(加藤雅也)について料理を学ぶようになっていた。
激しい咳をともない血を吐くことから「労咳(ろうがい)」とも呼ばれた結核は、日本では19世紀末から20世紀にかけて多くの人が罹患した国民病だった。その流行の背景には、近代化にともない工場・学校・兵営など集団生活の場が一挙に増えたことがあげられる。さらに工場では劣悪な労働環境から免疫のない若者に結核が蔓延していった。文学史においても、樋口一葉、正岡子規、石川啄木など結核で若くして亡くなった作家は少なくない。小説家の堀辰雄をモデルとしたアニメ映画「風立ちぬ」でも、主人公の妻が結核で空気の良い土地に移って治療に専念する場面が出てきた。
結核は、1940年代になって抗生物質のストレプトマイシンが発見され、ようやく有効な治療が可能となった。それ以前には、転地療養か、患部を切除する外科療法ぐらいしか手立てはなかったのだ。日本の場合、欧米とくらべると結核対策が遅れ、第二次大戦後にいたっても罹患者はなかなか減らなかった。
さて、「天皇の料理番」第4話では兄・周太郎ばかりか、篤蔵にも大きな転機が訪れる。調理場を抜け出しては英国公使館に行っていたことがバレて、宇佐美から破門を言い渡されたのだ。
ここにいたるまでの過程でキーパーソンとなったのは、篤蔵の先輩で見習いコックの辰吉(柄本佑)である。劇中では柄本の好演もあり、辰吉の揺れる気持ちが丁寧に描写されていた。
篤蔵の行動をいぶかしんだ料理人の荒木(黒田大輔)に偵察を命じられた辰吉は、篤蔵が英国公使館に出入りしていることを突き止める。しかしそのことを辰吉は荒木には言わなかった。さらに篤蔵にも「当分英国公使館に近づくのはよしたほうがいいぞ」と忠告する。実際には辰吉は、自分を追い抜いて行く篤蔵に強い嫉妬と焦りを感じていたのだが。それでも相手の足を引っ張るようなことはしない辰吉の人柄がうかがえる。
じつは原作小説では、辰吉は篤蔵からけっして信用されているわけではない。次の一文など、ひどい言いようである。
《この男[辰吉――引用者注]はきまじめな小心者で、腹に毒はないけれど、ズバぬけて腕が立つわけでもなく、根性があるわけでもなく、右から風が吹けば左へなびき、左から風が吹けば右へなびくというような男である。だから、篤蔵にむかっては彼の味方のような口をきくけれど、荒木親方にむかっては、篤蔵のことをあしざまに言わないとも限らないと、篤蔵は思っている》
もっとも、ドラマの辰吉もまた嫉妬が先に立って、最終的に荒木に告げ口してしまう。それは篤蔵が「兄が倒れた」とまたウソをつき英国公使館に出ているときのことだった。辰吉は当の周太郎から篤蔵宛ての手紙を言付かり、それを荒木に渡してしまったのだ。
これまで「日曜劇場」には、「半沢直樹」の香川照之や「ルーズヴェルト・ゲーム」の立川談春など、虫唾の走るほどいやな人物が数々登場してきたが、荒木のいやなやつ度合も半端ではない。以前から宇佐美に目をかけられる篤蔵を妬み、いやがらせをエスカレートさせてきた荒木は、篤蔵が英国公使館から調理場に戻ると、ここぞとばかりに罵倒し、ついに彼の秘密を暴露したうえ殴りつけた。これにたまりかねて殴り返す篤蔵。そんな彼に宇佐美から蹴りが入る。篤蔵が宇佐美から蹴られたのはこれが3度目だった。宇佐美には第2話で「3度目に蹴られたら出て行ってもらう」との警告されていたから、篤蔵は素直にしたがい華族会館を去っていく。
その去り際、辰吉と顔を合わせた篤蔵は「辰吉さんは何も悪くないですから。いままで黙っててくれてありがとうございました」と笑顔を見せながら頭を下げる。
その後、兄からの手紙を読んだ篤蔵は、夢破れた自分に代わって弟に期待を寄せるその文面に奮い立つ。とはいえ、宇佐美はひそかに篤蔵を料理人へ昇進させるつもりでいたにもかかわらず、本人の失態でそれもふいになってしまった。ほかの料理店に行くといっても、親方を裏切った者を雇ってくれるようなところなどありそうにない。
ふらふらと東京の街を歩くうち篤蔵は「バンザイ軒」という小さな料理店にたどり着く。そこでは店主(佐藤蛾次郎)が、気難しそうな紳士(白井晃)から「アイスフライ」なるものを注文されて困惑しているところだった。紳士の雰囲気は、本作と同じく森下佳子脚本のNHKの朝ドラ「ごちそうさん」に出てきたムロツヨシ演じる帝大教授をどこか彷彿とさせる。果たしてこの紳士と店主は篤蔵とどうかかわるのか。それは今夜放送の第5話で明かされるはずだ。
それにしても、佐藤蛾次郎といえば「男はつらいよ」シリーズでの寺男・源吉の役が思い出されるが、本作への出演はひょっとして、「男はつらいよ」の主演で「天皇の料理番」1980年版ではナレーションを務めた渥美清へのオマージュなのでしょうか?
(近藤正高)