NHKスペシャル「未解決事件 File.07 警察庁長官狙撃事件」の実録ドラマ編が、先週日曜放送のドキュメンタリー編に続いて今夜9時から放送される。

番組でとりあげられるのは、1995年3月30日の朝、当時の警察庁長官・國松孝次(たかじ)が都内の自宅マンションを出たところを発砲され、瀕死の重傷を負ったという事件である。
ちょうどその10日前の3月20日には東京都心で地下鉄サリン事件が発生し、22日になって事件を首謀したオウム真理教の関連施設の一斉捜査が行われ、日本社会を不安が覆っていた時期だった。

日本の警察のトップがテロの標的にされるという前代未聞のこの事件もまた、オウム真理教によるものとして警視庁公安部の主導で捜査が進められた。しかし、いったんは事件にからみ複数の元オウム信者が逮捕されながら、けっきょく犯人特定にはいたらず、2010年3月30日、公訴時効を迎えた。その際、公安部長が会見で、《事件は、教祖たる松本智津夫の意思のもと、オウム真理教信者のグループにより敢行された計画的、組織的なテロであったと認めた》と発言。これに対し、オウム真理教の後継団体であるアレフが名誉を傷つけられたとして提訴、東京地裁は2013年に名誉毀損の成立を認める判決を下している。
「未解決事件」警察庁長官狙撃事件の真犯人はなぜ立件されなかったのか。國村隼とイッセー尾形今夜激突
警察庁長官狙撃事件の真相を追い続けた元刑事による著書『宿命 警察庁長官狙撃事件 捜査第一課元刑事の23年』(原雄一著、講談社)。電子書籍版もあり

オウム以外の真犯人を認めなかった警視総監


警察庁長官狙撃事件に関しては、オウム真理教に対する捜査の一方で、教団とはまったく関係のない、あるひとりの人物に対してもくわしく捜査が進められていた。その人物の名は、中村泰(ひろし)という。

中村は2002年に名古屋での銀行襲撃事件で逮捕され、愛知県警・大阪府警(大阪でも別の事件を起こしていたため)・警視庁刑事部捜査一課が合同でその関係先と貸金庫を捜索したところ、長官狙撃事件に関する資料や大量の銃器・弾薬が見つかったことから、同事件の容疑者として浮上した。以後、警視庁南千住署に設けられた長官狙撃事件の特別捜査本部とは別に、上記3都府県の警察が設置した合同捜査本部により中村に対する捜査が進められる(のちには警視庁の特捜本部内に公安部公安一課員と刑事部捜査一課員で構成された「中村捜査班」が結成され、中村に対し、狙撃事件に関する本格的な捜査が行われた)。

中村は当初、長官狙撃事件への関与を肯定も否定もしないと刑事に告げていたが、2004年に同事件の被疑者としてオウム関係者が逮捕されると、関与を示唆する供述を行うようになる。最終的には犯行を自供するにいたり、その裏づけも警察の懸命の捜査によりほぼ取れた。それにもかかわらず、ついに中村を立件することはできなかった。これについては公安部の幹部がオウムありきで捜査を主導し、それ以外は一切認めなかったためとの指摘がある。


中村の取り調べを長らく行なってきた警視庁捜査一課の元刑事・原雄一は、公安部出身の警視総監に対し、中村に関する捜査状況を報告した際、総監が「こんなことがあってたまるか!」と資料にマーカーペンでバツ印をつけながら、横にいた公安部長らにいちいち同意を求めていたことを明かしている。一方で、刑事部内でも紆余曲折があり、捜査一課から中村犯人説を推す幹部が異動してしまうと、「あんな七面倒くさいやつの捜査はいいよ」「公安部がやってる捜査だから、刑事部はしゃしゃり出なくていいんだよ」という雰囲気になったという(「文藝春秋」2018年5月号)。

容疑者は「極左」にして「憂国の右翼」?


なお、原雄一は今年3月、中村に対する狙撃事件の捜査の一部始終をまとめた著書『宿命 警察庁長官狙撃事件 捜査第一課元刑事の23年』(講談社)を刊行している。私は前出のNHKスペシャルのドキュメンタリー編を見たあとに同書を手に取ったのだが、これを読むとつくづく中村泰という男の特異さに興味を覚えずにはいられない。

狙撃事件の捜査中には、中村自ら事件を分析した手記が雑誌に掲載されたこともあった(「新潮45」2004年4月号)。並大抵の人間であれば、そこまでしてわざわざ自分が犯人と疑われるような行動はとらないだろう。そもそも今回のNHKスペシャルの取材も、5年前に獄中の中村から取材班宛てに一通の手紙が届けられたことが発端だという。そこには、自らが事件の真犯人であることを実証するためのいくつかの手がかりが明示されていたらしいが(番組HP「取材ノート」)、彼は一体どのような心境でそれをつづったのか、気になるところである。

中村は1930年生まれというから、狙撃事件の年には65歳になっていたことになる。少年時代を旧満州(現在の中国東北部)ですごした彼は、旧制水戸中学時代には一時、5・15事件にかかわった橘孝三郎が創設した右翼団体「愛郷塾」に入塾している。その後、旧制水戸高校から東京大学教養学部に入ると、過激な左翼活動に没入し、やがて南米渡航費を捻出するため窃盗を繰り返すようになるも(大学はこの間に中退)、逮捕されて渡航を断念。代わって、日本が戦争を起こさないため、もし戦争を企図する政権が台頭した場合には、テロにより打倒する考えを抱くようなったという。この目的遂行のため拳銃を入手、1956年には職務質問を受けた巡査を射殺し再逮捕、無期懲役の判決が下る。
千葉刑務所に服役中には、キューバ革命の立役者の一人であるチェ・ゲバラの思想に大きな影響を受けた。

1976年に仮出所したあと、彼は武装組織を結成し、北朝鮮の日本人拉致被害者を解放するべく、朝鮮総連の幹部を拉致して人質交換を要求する計画も立てていたという。これにあたっては、千葉刑務所で知り合った右翼活動家の野村秋介に要員集めの協力を依頼したとも供述している。

ジャーナリストの鹿島圭介が中村を《過激な極左でありながら、そこには憂国の右翼の匂いも漂う》と評したように(『警察庁長官を撃った男』新潮社)、彼の思想はあまりに独特である。仮出所後、パスポートを偽造してアメリカに何度となく渡っては、武器を調達したり、射撃技術を身に着けたことを見ると、かなりの行動力もうかがわせる。もっとも、中村をよく知る原雄一に言わせると《彼にはカリスマ性とリーダーシップがないので、実行部隊になる人が集まらなかった》そうだから(「文藝春秋」2018年5月号)、人望には欠けるところがあったようだ。

中村は、警察庁長官狙撃事件の時効成立を前に、名古屋での銀行襲撃事件で懲役15年、さらに大量の銃器・弾薬の所持事件と大阪での現金輸送車襲撃事件では、二度目の無期懲役の判決を受けた。現在は岐阜刑務所に収監されている。

中村はなぜ警察庁長官を狙撃したのか


それにしても中村はなぜ、警察庁長官の命を狙ったのだろうか。その動機について彼は、《オウム真理教団の犯行に見せかけて警察庁長官を暗殺して警察首脳を精神的に追い詰め、死に物狂いでオウムに対する捜査指揮に当たらせ、併せて全国警察の奮起を促し、オウム真理教団を制圧せることにありました。よって、この暗殺計画は、私利私欲を離れた使命感に基づく行為であり》と供述している。しかしこれに対し原雄一は、後付けにすぎないとの見方を示す。
中村の目的は、オウムに世間の注目が集まっているのを格好のチャンスとして、官憲に対する積年の恨みを晴らすことにこそあったのではないかというのだ。

このように、中村は事件について真相を語りながらも、動機などある部分では物語をつくっていたと原は推察し、《いずれ公判において、中村が創造したストーリーを、私の証言によって論破する予定でいたが、それはついに叶わなかった》と書いている(『宿命 警察庁長官狙撃事件 捜査第一課元刑事の23年』)。

もし、中村が個人的な恨みをカモフラージュするため、あくまで大義のため犯行におよんだという物語を創作していたのするなら、それは、事件についてオウムによる犯行という見方にこだわり、それに沿って捜査を主導した警察幹部と相似を成しているともいえないだろうか。

今回のドラマは、そうした当事者らの仕立てた物語から事件を引き離し、いま一度客観的にとらえるためにも、おおいに意義がある。中村泰を演じるのはイッセー尾形、対する原刑事は國村隼、また警視総監の役に小日向文世と、第一線の俳優陣による実録ドラマは、きっと見ごたえのあるものになるに違いない。
(近藤正高)

【作品データ】
ドキュメンタリー ディレクター:小口拓朗
ドラマ 脚本・演出:黒崎博
ドラマ 出演:國村隼、イッセー尾形、小日向文世、毎熊克哉、渋谷謙人
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