「本日は新春スペシャルライブにようこそお越しくださいました。半崎美子です、拍手でお迎えください――」

年明け、かつてマイナス40度を記録した“日本一寒い街”にあるイオン旭川永山店で半﨑美子(45)は、歌い始めた――。

札幌から泊まりがけで駆けつけた家族連れや、深夜から並んだ熱烈なファン、そして吹き抜けのテラスに偶然居合わせた買い物客が彼女の歌声に魅了され、折り重なるようにして聴き入っている。

冒頭のアナウンスは彼女の自前のもの。これはインディーズ時代からの恒例だ。全国のショッピングモールでライブを開催することから、“ショッピングモールの歌姫“と称される半﨑はこの日、『地球へ』『サクラ~卒業できなかった君へ~』『母へ』といった代表曲をはじめ計5曲を歌い上げた。

「すごい歌姫がいるから、ぜひ聴いてみて!」

旧知の道内在住カメラマンの熱いプッシュが彼女に注目するきっかけだった。「半﨑美子」という歌姫だという。その名を知らなかった記者が半信半疑で調べていくと、そうそうたる顔ぶれが彼女のことをたたえていた。

「彼女は日本のアニタ・ベイカー」と桑田佳祐が感嘆すると、玉置浩二も自宅キッチンで『母へ』を妻・青田典子と共に聞き入り「これぞ歌!」と涙した。その後、冠番組『玉置浩二ショー』(NHK BS)のゲストに半﨑を招き、共演の際には玉置みずから『母へ』を歌い上げ、目を潤ませるシーンが印象的だった。

実際、半﨑が歌う会場では、老いも若きも、涙を流し聴き入る人が数多くいる。ノスタルジックで透明感溢れる独特の歌声に涙し、その世界観に魅了されるファンを「ハンザキスト」という。

イベントスペース後方ではCDが販売され、購入特典となるサイン&握手会は長蛇の列をなし、半崎はひとりひとりと言葉を交わし、遠い親戚のように再会を喜び合うシーンも見られた。

この日30分のミニライブのあと、3時間以上に及ぶサイン会を終えた半﨑は、帰路のフライト時刻ギリギリまで本誌インタビューを受けた。

まずは歌い初めの感想を。

「1回、1回、渾身のライブをと思う気持ちは変わりません。この日、ここにしか来られないという方もいれば、昨日来てくれて、今日も来てくれる方もいる。ステージで歌う1曲はその日、そのときにしか生まれないもの。同じ歌でも新鮮な気持ちで歌っています」

キラキラ輝く瞳でそう語る半﨑は、1980年に会社員の父親と母の間に三女として北海道札幌市に誕生。愛情深い家族の末っ子として育まれた。

歌の世界に飛び込むきっかけは、通っていた公立高校の学園祭だ。

「たまたま体育館のステージで、ドリカムの『す き』を歌ったら優勝して。そこからもう雷に打たれたように、歌手になるという夢を自覚しました」

2000年、札幌の大学を1年で中退すると、プロを目指し、父親の猛反対を振り切って上京。パン店の2階に住み込みで朝から働き、合間にせっせと楽曲を作りレーベルやプロダクションに売り込みをかけた。

このころからいまも変わらぬ曲作りの秘訣は、歌詞とメロディーが同時に浮かんでくること。

「キーボードに向かうとメロディが歌詞を伴って一緒に溢れ出てくるので、そのまま歌にします」

20代のころは自分の思いを歌にして、一人でも多くの人に聴いてもらいたい、そう意気込んでいたが、なんの手応えもないなか、出合ったのがショッピングモールのステージだった。

「生活に根ざした歌を届けたい」

そう願う半崎にとってショッピングモールは理想のステージだった。すぐさま交渉を開始し、担当者も熱意に負け、イベントスペースの提供を許可してくれた。

だが、いざ歌い始めても、買物客は簡単に足を止めてはくれない。

「一瞬は耳を傾けてくれても、立ち去ってしまう。初期の会場には観客が3人ということもありました」

聴いてもらうのはたやすいことではないと痛感した半﨑は考えた。目立つチラシを作製して張り方も工夫、椅子の並べ方までこだわり、登場時のアナウンスも自前で。功を奏したのか1人、2人と、着席し、最後まで聴いてくれる客があらわれた。透明感のある歌声に引き寄せられるように徐々に人々が集まり、半﨑のライブ目当てでショッピングモールを訪れるファンが次第に増えていた。

そして歌手活動開始から2017年、ついにメジャーデビューを果たす。同年の有線大賞で新人賞を獲得し、『情熱大陸』(TBS系)に出演した。

「下積み17年と紹介されることも多かったですが、自分としては、それまでの活動が今につながっている感覚でした。

私にとって必要な17年だったと思っています」

■いただいた手紙や贈り物はすべて保管して

そう話す半﨑が、どんなに多忙になっても、大切にしているライフワークはショッピングモールで歌を届けること。

ファンとの交流こそが彼女のエネネルギーの源。そして彼女の歌はいつもそこから生まれる。

あるとき栃木県で出会った女性が、交通事故で9歳の息子を失った自身の想いをつづった手紙をくれた。その手紙から生まれた『明日へ向かう人』は、家族への思いを書き下ろした名曲だ。

「1年後に同じショッピングモールへ行き、この歌を歌ったら、手紙のご家族が来てくれていて、再会に涙しました」

音楽人生のなかで大切な出会いで、いまも交流が続いている。

“私たちは、亡くなった大切な人に支えられて生きている“というこまやかで緻密な情感表現が聴く者の心の琴線に触れる。

「最初は自分が伝えたいことを歌にしていましたが、いまは出会った方たちの思いが自分の中に降り積もっていき、そこからあふれ出た言葉が歌になっています。自分の思いではなく、誰かの思いを私というフィルターを通して歌にする。今はお客様が来てくれたというより、懐かしい人と再会して、同じ方向を向いているという感覚で歌っています」

そして生まれた楽曲がまた次の誰かと出会わせてくれる。そんな軌跡の繰り返し。

「いままでいただいたお手紙はすべて自宅に保管してあって、折に触れ読み返しています」

ファンからの贈り物もすべて自宅に飾り収めている。

必然的に広い保管スペースを求めて、数年おきに転居もしているという。

毎回長蛇の列となるハンザキストたちとのふれあいの時間。距離の近さについて記者が驚いて尋ねると、

「この近くて深い対話が、私にとっては生きがいでかけがえのないものなんです」とかみしめるように語った。

この透明感あふれるショッピングモールの歌姫の曲を、ぜひ一度聴いてみてはいかがだろう。次の瞬間、あなたもハンザキストになっているかもしれない――。

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