今年4月、高市政権はデジタル教科書を正式な教科書と位置づける学校教育法等の改正案を閣議決定した。問題はないのだろうか。
出版ジャーナリストの飯田一史さんは「紙には紙の良さがあり、デジタルにはデジタルの良さがある。デジタル教科書との向き合い方は、北欧諸国の動きが参考になる」という――。
■「北欧諸国がデジタル教科書を廃止」はウソ
「北欧諸国のスウェーデンなどは読解力低下などを受け、デジタル教科書を完全にやめて紙の教科書のみに回帰する」かのように日本のメディアでは報道されている。だが、実はこの話はウソである。
なぜウソと言えるのか、この話のどこがウソなのか。それを説明するためには、まず「識字率」の話から始めなければならない。
「日本は昔から教育水準が高く、識字率はほぼ100%」という“識字神話”が長く流布され、「字を読めてあたりまえ」との社会通念がある。だがこの話は実際にはマユツバである。
日本の識字率についてウェブで検索すると、世界経済フォーラム(WEF)がまとめた「Global Gender Gap Report 2025」の「教育達成度」セクション内の「識字率」で日本は調査国中1位だった、という記事がヒットする。
■実はまともに調査されていない「識字率」
ただ、この調査はUNESCOなどが実施している既存の国際統計データを参照しただけのものだ。
そして「過去10年間にデータが入手できない国」かつ以前に「読み書きができる」と報告された先進国などについては、便宜上100%と仮定しているにすぎない。
日本では、1948年にGHQが行った識字調査以降、国は同様の調査を一度もしていない。

そして先進国であっても「だいたいみんな読めるだろう」という前提のもとで識字調査を行っていない国は少なくない。
結果、日本を含めたこれらの国は、ろくに調査もされないまま、「Global Gender Gap Report」の「識字率」セクションにおいては、みな同率1位になっているわけだ。
日本では「字が読めない」ひとは「いない」こと扱いされている。
だが実際には漢字の読み書きが苦手な人たちは全人口のおよそ5~8%いると推定されている。言いかえれば、20~30人にひとりはいる。
■約7%の子どもは漢字が読めない
「学習障害」(LD)の一種、「発達性ディスレクシア」の人は、生まれつき字の読みに困難を抱え、後天的におぼえることが非常にむずかしいという。その「発達性ディスレクシア」の専門家・宇野彰氏らが小学生を対象とした調査では、文字を読めない(書けない)子どもの割合は次のようになった。
・かな文字の読字障害(読みの困難) 0.2%

・漢字の読字障害 6.9%

・漢字の書字障害(書きの困難) 6.1%
(Akira Uno, Taeko N. Wydell, Noriko Haruhara, Masato Kaneko & Naoko Shinya “Relationship between reading/writing skills and cognitive abilities among Japanese primary-school children: normal readers versus poor readers (dyslexics)”, Brain and Development, Vol.31, pp.571–577, 2009)

漢字を「全然読めない」子どもと「すらすら読める」子どもの違いとは、それほど明確なわけではない。「どちらかといえば苦手」なグレーゾーンの子どもまで含めれば、その割合はもっと高くなるだろう。
個々人の努力の問題ではなく、持って生まれた特性や生育環境によって、文字や紙の本を読むのがしんどいと感じる人たちは少なくないのだ。
■漢字が読めない人は多読者の約2~4倍
対して、書籍を1カ月に7冊以上読む多読者は、文化庁「国語に関する世論調査」によると青年以上では全体の2~3%しかいない。
つまり、漢字の読み書きが苦手な人は、いわゆる本読みより、少なく見積もって2倍から4倍くらいはいるのである。

私の知り合いにも、大人になってから「発達障害と学習障害がある」と診断された、漢字が書けないマンガ編集者がいる。上司にカミングアウトしてもネチネチいやみを言われるだけで配慮してもらえず、その後、理解のある職場に転職した。
「活字の牙城」とみなされているであろう出版業界にさえ、読みや書きに困難を抱えるひとがいるのだ。
■「スマホでバカになる」は本当か
近年、スマホやデジタル教科書の普及が若者の学力に悪影響を及ぼしているという議論がある。
東北大学加齢医学研究所の川島隆太教授らが中学生約7万人を対象に行った研究(プレジデントオンライン「研究者が思わずゾッとした『子どものスマホ使用時間と偏差値の関係』小中学生7万人調査でわかった衝撃の事実」2023年5月14日)によると、スマホの使用時間が長くなるほどテストの偏差値が下がっていた。
ただし、スマホに限らず、たいていどんな活動でも長時間に及ぶと学力に負の影響がある。スポーツやゲームだけでなく、読書でさえそうだ。これは「常識」として知っておいてもらいたい。
また、デジタル教科書導入の先進国であったスウェーデンでは、見直しに取り組んでいるとされる。
デジタル教科書を導入した後の2012年に、経済協力開発機構(OECD)が実施する「OECD生徒の学習到達度調査」(PISA)での成績が急落したことがその背景として指摘(BBC News Japan「紙の教科書への回帰……スウェーデンはなぜデジタル教材から離れているのか」2026年4月17日)されている。
ただ、これらの議論や動きは物事の一面しか捉えていない。
実際、「紙回帰」「アナログ回帰」していると日本で語られがちな北欧は、ディスレクシア、ディスグラフィア(書くことに困難がある人)に対し、デジタルツールも用いたアクセシビリティ対応が世界でもっとも充実した地域のひとつである。

アクセシビリティとは、視覚や身体・学習面などにハンディのある人も含め、誰もが読みたいコンテンツに無理なくアクセスし、利用・操作できるようにする考え方と実践のことだ。
■学習障害の子どもの教育環境が向上
アクセシブルな本の具体的なかたちとして、日本では、
・小さな文字が読みづらい人でも読みやすいよう、通常より大きな文字で組まれ、工夫された「大活字本」

・「点字図書」

・ナビゲーション機能付きのデジタル録音図書「デイジー(DAISY)」

・やさしく読める、わかりやすく書かれた「LLブック」
などが代表的なものとされている。
一方、北欧諸国ではアクセシビリティ対応の一環としてデジタルコンテンツの利用が進んでいる。ディスレクシアの子たちは普段の学習や試験において、デジタル教科書やCBT(コンピュータベースのテスト)用のソフトウェアに標準装備されている、文字の読み上げ機能やフォントの変更・拡大などの支援ツールを日常的に使っている。
つまり、学校現場におけるデジタルコンテンツの利用、デジタル教科書の普及により、学習障害を持つ子どもの教育環境が確実に向上したわけだ。
これらは家庭におけるスマホの普及や過度な利用とは分けて捉えられなければならない。
■「北欧諸国が不正をしている」疑惑
アクセシビリティ対応が充実している北欧だからこそ起こった事件もある。
「PISAの受験者の除外率が高すぎる」と物議をかもしたのである。
先述したように、PISAとは、OECD加盟国の15歳を対象とした学習到達度調査である。数学、科学、読解の3領域のリテラシーを2000年から3年ごとにテストし、国際比較を行っている。
このPISAの成績を上げるために、成績の悪い生徒を調査から外すという操作が行われる可能性もあるが、それを避けるために一定のルールが設けられている。
OECDが定めるPISAの基準では、学校レベルおよび生徒レベルの除外率の合計は「全対象人口の5%以下」であるべきとされている。

しかし2022年の調査では、デンマークが11.6%、スウェーデンが7.4%、ノルウェーが7.3%と北欧諸国の多くが基準以上の除外率となっている。これが一部の国から「ランキング上昇を目的とした不正な除外ではないか」と疑惑を向けられた。
■「マークシートなら高得点」という人もいる
なぜ北欧の除外率は高かったのか。
PISAのテスト環境では、北欧諸国のテストでは、読み書きがむずかしい生徒のためにあたりまえに用いられている読み上げソフトなどのツールの使用が認められなかったからだ。
そのため学校側がPISAを「受検不可能」と判断して多くの生徒を除外したとされている。読み上げが使えなければ「本来の能力」を発揮できない生徒が受験するのは不当だと考えたわけだ。
ちなみに先に挙げた私の知り合いのマンガ編集者は「漢字が書けないせいで高校まで自分のことをバカだと思っていたが、マークシートの比率が多い大学入試の模試を受けたら意外と成績が良くて『あれ?』と感じた」と語っていた。
このように、漢字を手書きできなくてもマークシートなら、あるいはデジタルツールを使ってキーボードやフリップ入力できる環境なら、好成績を取れるという人もいる。
■「紙しか認めない」は人権侵害
デジタル教科書をはじめとするデジタルコンテンツの普及は、そういう人にとって「本来の能力」を発揮する余地を広げてくれるものだ。
PISAは日本では「読解」「リテラシー」の概念を拡張してきた存在として見られている。
たとえば読解リテラシー(Reading Literacy)のテストは、日本の国語のテストに出てくるような小説や論説文以外にも、手紙、説明書や役所で出てくるような書類、ウェブ上のテキストなどが登場し、さらには複数テキストの比較・併用等々も課したことで、日本の国語科教員に困惑と衝撃を与えてきた。
だが北欧諸国からすると、そのPISAでさえ従来型のReadingやLiteracyにとらわれており、生徒の多様性に合わせてテストを調整できていなかった、ということになる。
この騒動の後、PISAはアクセシビリティ対応の強化を示している。
EUでは「欧州アクセシビリティ法」に基づき、2025年6月より、あらたに市場に出る電子書籍に対してアクセシビリティ対応(読み上げ対応やナビゲーション機能など)が義務付けられる方向にある。
「アクセシブルな読書」の提供は、学習権を含む基本的人権の一部だからだ。
要するに、北欧の動向は「紙か、デジタルか」の二者択一で「紙に回帰しました」という話ではない。実際にはどちらも推し進め、学習の目的や生徒の特性に合わせて使い分けられる環境づくりに取り組んでいると理解すべきだろう。
■「紙がいい」は本好きエリートの独善
「すべての人にとって紙の教科書がいい」とは限らない。紙には紙の良さがあり、デジタルにはデジタルの良さがある。
日本の報道やソーシャルメディア上の議論では「読み書きがむずかしいひとがけっこうな割合でいる」という前提が抜けている。アクセシビリティという観点がすっぽり抜けた状態で、デジタル教科書批判&紙の教科書の礼賛が横行していると考えられる。
紙のテキスト(本、教科書)至上主義者や読書強者たちは、自分たちが文字を苦もなく処理できる認知特性や、文字文化があたりまえの環境で育ったことに無自覚だ。
あるいは、自覚があっても、そこからこぼれおちる人に目を向けるより、感傷的に紙の本のよさや、読書によって救われた自分の体験を語っておしまいにする。
そうしているかぎり、紙の本を苦も無く読みこなしてきたエリートの優位性はゆるがないからだ。

デジタル教科書のようなアクセシブルなテキストを「本来の読書ではない」「思考力が育たない」「気が散るだけ」等々と切り捨てることは、「本好き」よりもはるかに多い「読み書き困難」のひとたちを学習から排除することになる。
それはスウェーデン人の感覚からすれば、人々の学ぶ権利、知る権利を阻害する人権侵害、人権無視以外の何者でもない。
デジタル教科書にも欠点はあるだろう。だが、デジタル教科書によりアクセシビリティ対応が当たり前になれば、これまで「学習障害者」として扱われてきた人5~8%の人にとっては、持っている能力を発揮しやすい環境が生まれる。それは日本人の学力の底上げになるし、ひいては日本人の潜在的な能力の向上にもつながる。
逆に、紙の教科書にこだわり過ぎることは、5~8%の人から学習機会を奪うという意味で、深刻な人権侵害と見なされ得るということを指摘しておきたい。
また、日本では今のところ「紙の教科書」「デジタル教科書」「併用」の選択(採択)は各市町村の教育委員会(自治体)単位で行う見込みだ。これでは紙での学習がむずかしい人たちにも引きつづき紙を強制することになる可能性が高く、アクセシビリティ対応としてはまったく意味がない。

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飯田 一史(いいだ・いちし)

出版ジャーナリスト・ライター

1982年青森県むつ市生まれ。中央大学法学部法律学科卒。グロービス経営大学院経営研究科経営専攻修了(MBA)。出版社にてカルチャー誌やライトノベルの編集者を経て、独立。マーケティング的視点と批評的観点から出版産業、読書調査、子どもの本、マンガ、ウェブ小説、ウェブトゥーン等について取材、執筆している。著作に『町の本屋はいかにしてつぶれてきたか』『「若者の読書離れ」というウソ』(平凡社)『いま、子どもの本が売れる理由』『ウェブ小説の衝撃』(筑摩書房)『作文ぎらいのための文章教室』『ウェブ小説30年史』『マンガ雑誌は死んだ。で、どうなるの?』(星海社)など。

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(出版ジャーナリスト・ライター 飯田 一史)
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