「55」は吉村禎章が入団から4年間つけて槙原寛己、駒田徳広とともに「50番トリオ」として活躍したのも印象深いが、その後、松井秀喜が確固たるイメージをつくり上げた。

 石川・星稜で1年から4番に座り、夏は3年連続で甲子園に出場。

3年時の5打席連続敬遠は社会現象にもなった。92年のドラフトでは4球団が競合する中、長嶋茂雄監督がくじを引き当て、巨人入りした。

 93年5月1日のヤクルト戦、7番・左翼でデビューし、翌2日に、初本塁打。96年には当時の最年少でセ・リーグMVPを受賞した。99年には42本塁打をマーク。2000年は開幕から全イニング4番を任され、打率・316、42本塁打、108打点。シーズンと日本シリーズMVPをダブル受賞した。01年は王貞治イチローに次ぐ3人目の全イニング出場での首位打者となった。

 02年、FA権を行使してヤンキース入り。09年、フィリーズとのワールドシリーズ第6戦で、1試合6打点を挙げるなど9年ぶりの世界一に貢献し、日本人初のMVPを受賞した。そして13年、師匠の長嶋茂雄さんとともに国民栄誉賞を受賞。「55」は松井の後、大田泰示、秋広優人も背負ったが重圧は想像以上だったのかもしれない。

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