第93回日本ダービーは5月31日、東京競馬場で18頭が世代の頂点を競います。スポーツ紙・夕刊紙8紙の特別企画で、スポーツ報知の競馬記者が熱く語ったのは、“初めてのダービー”。

あなたと同じダービー馬を推す同世代の記者はいますか? 第1回はアイネスフウジン世代の吉田哲也記者の登場です。

 

 きっと、浮かれているように見えたのだろう。出張直前に上司から言われた。「日本ダービーの取材は、だれでも行けるものではないぞ」36年前、競馬記者2年目の日本ダービー初体験は、言葉の意味を理解するには十分すぎるレースだった。

 1990年。時代の寵児(ちょうじ)・武豊と、芦毛の怪物オグリキャップが火をつけた空前の競馬ブームに、みんなが乗せられていた。スマホもネットもない時代だったが、日本ダービーの売り上げは前年から一気に105億円増の約397億円を記録した。

 主役は、ターフを席巻していた「ヤングジョッキー」。皐月賞馬ハクタイセイの武豊、1番人気のメジロライアンには横山典弘。2人に視線がそそがれるなか、キャリア20年、37歳の中野栄治が、アイネスフウジンでひそかに頂点を狙っていた。

 初めての美浦トレセンが日本ダービーの取材。「アイネスフウジンの1分間の心拍数は22」それは当時の最強馬オグリキャップをしのぐ数字だった。

若さから導かれる思い込みは、時として幸運を呼び込む。その事実だけで皐月賞2着馬に初めての日本ダービーの本命を託すことになった。

 結果はアイネスフウジンが2分25秒3の当時の日本ダービーレコードで逃げ切った。スタンドには競馬史上に残る19万6517人がウィニングランを見守っていた。期せずして湧き上がった「ナカノ・コール」。あろうことか歴史的瞬間を見逃していた。レース後、大慌てで記者席から地下・検量室へ、駆け下りていた最中の出来事だった。

 予想も、馬券も的中した。帰路の新幹線で先輩たちにほめられた。それでも「ナカノ・コール」を見逃した。痛恨の極みである。

〈1990年日本ダービーVTR〉

 皐月賞では惜しくも2着に終わったアイネスフウジンが、府中の2400メートルを鮮やかに逃げ切った。

好スタートから主導権を握ると、影すら踏ませない完封勝ち。1番人気のメジロライアンが直線追い込んだが2着止まりだった。

 ◆吉田 哲也(よしだ・てつや) 1988年入社。競馬記者歴は通算35年。学生時代に、武豊騎手の重賞初勝利(87年京都大賞典・トウカイローマン)を観戦したことは自慢。取材した馬で印象に残っている馬はオグリキャップ、好きな馬はスペシャルウィーク。

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