日本ハムからソフトバンクにFA移籍した近藤健介の「人的補償」選手が田中正義に決まった。FA選手の人的補償で移籍した選手は、今回の田中を含めて34人。

1996年 河野博文(日本ハム)←→川邉忠義(巨人)
2002年 前田幸長(中日)←→平松一宏(巨人)
2002年 加藤伸一(オリックス)←→ユウキ(近鉄)
2006年 野口茂樹(中日)←→小田幸平(巨人)
2006年 豊田清(西武)←→江藤智(巨人)
2007年 小久保裕紀(巨人)←→吉武真太郎(ソフトバンク)
2007年 門倉健(横浜)←→工藤公康(巨人)
2008年 新井貴浩(広島)←→赤松真人(阪神)
2008年 石井一久(ヤクルト)←→福地寿樹(西武)
2008年 和田一浩(西武)←→岡本真也(中日)
2011年 小林宏之(ロッテ)←→高濱卓也(阪神)
2012年 村田修一(DeNA)←→藤井秀悟(巨人)
2012年 大村三郎(巨人)←→高口隆行(ロッテ)
2013年 平野恵一(阪神)←→高宮和也(オリックス)
2013年 寺原隼人(オリックス)←→馬原孝浩(ソフトバンク)
2014年 大竹寛(広島)←→一岡竜司(巨人)
2014年 鶴岡慎也(日本ハム)←→藤岡好明(ソフトバンク)
2014年 久保康友(阪神)←→鶴岡一成(DeNA)
2014年 片岡治大(西武)←→脇谷亮太(巨人)
2014年 涌井秀章(西武)←→中郷大樹(ロッテ)
2015年 相川亮二(ヤクルト)←→奥村展征(巨人)
2017年 糸井嘉男(オリックス)←→金田和之(阪神)
2017年 山口俊(DeNA)←→平良拳太郎(巨人)
2018年 前田大和(阪神)←→尾仲祐哉(DeNA)
2018年 野上亮磨(西武)←→高木勇人(巨人)
2019年 炭谷銀仁朗(西武)←→内海哲也(巨人)
2019年 西勇輝(オリックス)←→竹安大知(阪神)
2019年 丸佳浩(広島)←→長野久義(巨人)
2020年 鈴木大地(ロッテ)←→小野郁(楽天)
2020年 美馬学(楽天)←→酒居知史(ロッテ)
2021年 梶谷隆幸(DeNA)←→田中俊太(巨人)
2022年 又吉克樹(中日)←→岩嵜翔(ソフトバンク)
2023年 森友哉(西武)←→張奕(オリックス)
2023年 近藤健介(日本ハム)←→田中正義(ソフトバンク)

※左/FA移籍選手←→右/人的補償選手

 過去には江藤智や工藤公康といったタイトルホルダーから、内海哲也や長野久義といったドラフト1位選手までさまざまな選手が人的補償として移籍し、多くのドラマを生んだ。今回は人的補償が転機となり、新たな野球人生を送った5人を紹介したい。

田中正義は新天地・日本ハムで輝けるか。人的補償が「野球人生の...の画像はこちら >>

巨人から中日に移籍し

【通算371試合ながら現役17年】

 小田幸平はキャッチングとブロックのうまさに定評がある捕手だった。巨人での新人時代、桑田真澄の投球を受けた小田は「キャッチングがうまいね。守備で生きていけば」と褒められた。

 古田敦也(ヤクルト)を目標に置き、捕球重視の大きめのキャッチャーミットを使っていた。今でこそ「コリジョンルール」があるため、捕手は本塁でブロックしないが、まだルールがない当時、本塁での衝突プレーは日常茶飯事だった。

その際、走者の突入時に生還を許さない小田のレガースの使い方は巧みだった。また明るいキャラクターで、清原和博からかわいがられた。

 2005年オフ、野口茂樹の人的補償で中日に移籍。落合博満監督には、荒木雅博や井端弘和の盗塁阻止が強く印象に残っていたようで、「正直、小田がプロテクトから外れているとは思っていなかった」と語ったことからも、迷わず指名したことがうかがえる。

 移籍後は正捕手・谷繁元信のサブとしてチームを支え、相性がよかった山本昌の"専属捕手"としても活躍した。お立ち台での「やりましたーっ??」は球団がグッズを作成するほど定番となり、大いにファンを沸かせた。

 一軍出場は通算371試合ながら、現役17年は立派である。

【世界を驚かせたスーパーキャッチ】

 赤松真人は「もともと広島の選手ではないか」と思わせるくらいカープの印象が強いが、2004年ドラフト6巡目で阪神に入団し、プロ野球人生をスタートさせた。

 2008年の1月に新井貴浩の人的補償で広島に移籍した赤松は、その年、巨人戦で2試合連続"初回先頭打者本塁打"を放ち、「広島に赤松あり」を全国に知らしめた。また2010年には、横浜(現・DeNA)の村田修一が放ったホームラン性の打球を広島市民球場の外野フェンスによじ登りスーパーキャッチ。海外メディアでも取り上げられるなど、大きな注目を集めた。この年はリーグトップの10補殺も記録し、ゴールデングラブ賞を受賞した。

 移籍後はおもに1番打者として活躍し、7年連続2ケタ盗塁も記録。

2016年にはチーム25年ぶりとなるリーグ優勝の美酒に酔ったが、そのオフに胃ガンが見つかり手術。懸命のリハビリを経て、2019年に1試合だけ一軍復帰。奮闘する姿は多くのファンを勇気づけた。

【2年連続盗塁王のタイトル奪取】

 1993年にドラフト4位で広島に入団した福地寿樹は、2000年から4年連続2タケ盗塁を記録するなど足を武器に頭角を現したが、たび重なるケガでレギュラー奪取はならなかった。

 2006年3月にトレードで西武に移籍した福地は、同年85安打、25盗塁を記録するも、生え抜きの若手だった栗山巧を育成する方針を固めており、ここでもレギュラーの座をつかむことはできなかった。

 そんな福地に転機が訪れたのが2008年、石井一久の人的補償でのヤクルト移籍だった。

 当時のヤクルトは、レフトを守っていたアレックス・ラミレスが巨人に移籍。

さらに神宮球場のフィールド拡張もあり、高田繁監督(当時)は"スモールベースボール"を掲げた。そして高田監督が「球場が広くなるところに俊足好守の福地がプロテクト枠を外れていて、ウチにとっては幸運だった」と語ったように、ヤクルトにとっても最高の戦力補強となった。

 その期待に応えるように、移籍1年目から155安打を放ち、打率.320。さらに42盗塁をマークし盗塁王のタイトルも獲得。翌年も盗塁王に輝くなど、リードオフマンとして活躍した。2012年には通算1000試合出場を果たし、史上44人目の通算250盗塁も記録した。

【チームをまたぎ2年連続日本一達成】

 社会人時代に在籍する野球部が休部の憂き目にあうなど、苦労を重ねた岡本真也だったが、2004年の落合博満監督の就任1年目、最優秀中継ぎ投手に輝くなど、貴重な戦力としてチームのリーグ制覇に貢献した。

 だが西武との日本シリーズでは、ピンチでアレックス・カブレラを迎え、落合監督から「まだいけるか?」と問われた岡本は「いけます」と続投するも、満塁弾を浴びてしまった。

 そしてこの教訓が生かされたのは、3年後の日本ハムとの日本シリーズ。落合監督は完全試合目前の山井大介から岩瀬仁紀に代える非情とも言える采配で53年ぶりの日本一を達成。しかし、この"継投・完全試合"は物議を醸した。当時はさまざまな憶測が飛び交ったが、のちに落合監督は「継投策に出たのは、あの試合が遠因だった」と、2004年の西武との日本シリーズがきっかけだったと語っている。

 その岡本だが、2008年1月に和田一浩の人的補償で因縁の西武に移籍。

47試合に登板し18ホールドを挙げるなど"中継ぎエース"として活躍。巨人との日本シリーズではアレックス・ラミレスにサヨナラ本塁打を浴びたが、4勝3敗で下し日本一を達成。チームをまたぎ2年連続日本一を味わった。

【広島初のリーグ3連覇に貢献】

 巨人時代の一岡竜司は、2年間で一軍登板わずか13試合の投手だったが、広島の編成部は最速151キロのストレートだけでなく、カットボール、スライダー、フォークなどの変化球も高く評価していた。大竹寛の人的補償での獲得が決まった時、かなり喜んだという。

 移籍1年目、一岡は31試合で16ホールド、防御率0.58と圧巻のピッチングを披露。オールスター出場も果たした。

 25年ぶりのリーグ制覇を果たした2016年は5ホールドに終わったが、翌年は59試合に登板して6勝19ホールド、さらにその翌年も59試合登板で5勝18ホールドと、チーム初のリーグ3連覇に貢献した。

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 田中正義は創価大から2016年のドラフトで5球団による競合の末、ソフトバンクに入団。誰もが"未来のエース"と活躍を信じて疑わなかったが、昨年までの6年間の成績は34試合に登板して0勝1敗2ホールドと実力を発揮できずにいる。だが、ポテンシャルの高さは球界屈指。環境が変わったことで"覚醒"する可能性は大いにある。はたして、田中正義にどんなドラマが待っているのか大注目だ。