「今やっと花として散っていけるのです。どうか笑ってお別れを」
(「自爆弾」より)
現在放映中の「ダンダリン 労働基準監督官」の劇伴音楽を担当している浅草ジンタ

その前身となるバンドデスマーチ艦隊が、1999年に自爆(解散)しました。

それから14年。デスマーチ艦隊の一夜限りの復活ライブが行われました。
発売されたDVD『愛と真実の不発弾!』にその時の模様が収録されています。全員が帰還兵の衣装で身を包んだ、一回限りの復活です。
90年代末期の混沌にマッハのスピードで出撃→爆沈。

それが10年代の今この時代に、海底から帰ってきた。
なぜ今デスマーチ艦隊なのか。そもそもデスマーチ艦隊とは、何だったのか?

●デスマーチ艦隊、抜錨!
デスマーチ艦隊は、勢いのままに生まれ、突っ走り、自爆しました。初期は80年代パンク的自己破滅感を漂わせた、オシャレではないバンドでした。
ぼくは音楽雑誌で「爆笑モノ」と書いてるのを見ては憤慨していたものです。ふざけんなちゃんとすごい音なんだぞ!
……でも笑わせるためならなんでもやる、エンターテイメント要素の強いバンドでした。
「笑える」は褒め言葉なんです。

元々メンバーは美術系大学などアート寄りの出。
最初、リーダーのダイナマイト和尚がやっていたのは、カッコイイ、ロカビリーのバンドでした。ある日、和尚がウッドベースのスラップ(手を弦に叩きつけたり、弦を引っ張って指板に当てることで、実音と叩きつける音を同時に出す演奏方法)にハマったことが、事の始まり。
ドハマリして疲労骨折するほど演奏しているうちにみるみるうまくなり、田中先生をドラムに据えて、若さのまま「世界一を目指す」ようになります。

ここで和尚の人生に関わる大きな事件が起こります。

アメリカのメンフィスに旅行中、強盗事件にあい怪我をしたのです。
今まで日本美術にのめり込んでいた自分が、異国の音楽に心酔して世界一を目指したのに、異国でバカにされ、人として打ち負けてしまった。
彼の激しい悔しさからの、精神的「切腹」、魂からの「取り除き作業」がはじまります。
90年代の海外コンプレックスに憤り、自らの中にもそれがあることをもがき苦しみ、奮起。
世界のどこにも属さない、衝動の漂流艦隊「デスマーチ艦隊」が結成されます。

メンバーに「モテるからバンドに入れ」といってトランペット渡したり、ほんと勢いでした。

花火を撃つわ、小麦粉をぶちまけるわ、アンプを破壊するわ。衝動のまま暴れました。
なので「うちはこういうのはやらないんで……」とライブハウスを断られまくり。

それから一年立たず、インディーズCD『魂のしわざか…』を発売。半年後の1997年にメジャーデビューしてしまいます。
本人も「衝動だけで突っ走った」と述べていますが、考えているのか適当なのかわからん曲が数多くありました。

「筋肉マシーン」とか、「おおスザンナ」の曲に乗せて「鍛えろ筋肉」っていってるだけです。そこがいい。

彼らが見初められたのには、理由があります。
一つはマーチのパンク化。マーチング曲をアレンジし、独自の歌詞をつけて高速で演奏。名付けられた「デスマーチ」というジャンル。
雰囲気としてはサイコビリーに近いのですが、唯一無二でした。
また和風テイストを大事にし、「日本の曲である」というのを貫いています。日本のマーチといえば軍歌。彼らは軍歌を独自にアレンジ・吸収しました。

もう一つの理由は、彼らに音楽的知識がなかったこと。
メジャーデビューする際、プロデューサーの徳田が、音楽の勉強なんてしなくてもいい、と言っているのが興味深い。
と言うのは、彼らはまさに艦隊のように突撃する力はあった。創造する力も十二分にあった。ここで音楽の学問としての基礎固めをしてしまうなら、そのめちゃくちゃなパワーが奪われてしまう、という理由です。

「デスマーチ艦隊は、『俺はこう行くけど、どうする? とにかくやってみろよ! …違う、そうじゃねぇよ! こうやれよ!』って俺が一方的にまくし立てる感じ。その結果、音楽的な学力は著しく低いんだけど、ベクトルは異常に強いんですよ。『毒キノコ会』なんて、何のために作ったのかよく分かりませんからね(笑)。ホントに0.3秒ぐらいの衝動と強烈な自我だけで疾走していたんだと思いますよ」
デスマーチ艦隊(2013年4月号) - インタビュー?|?Rooftop

かくして、デスマーチ艦隊はわけもわからず出港します。
徳田稔は「俺は誰もがメジャーデビューさせられるようなバンドなんか関わりたくないんだよ。誰も手付けないような面白いバンド探すんだ」と語り、彼らのパワーに惚れ込んでいました。
ちなみにそういう信念で徳田がプロデュースしたのが、デスマーチ艦隊と怒髪天でした。

●空にはとどろ。号砲の。
デスマーチ艦隊のパフォーマンスは、下品でめちゃくちゃなものばかりでした。
基本、服を脱ぐ。ピー音が入る曲ばかり作る。気づいたら和尚に、前歯がない。
もう何が起きているかわからない。メジャーなのに。

それではさすがにいかん。版元のテイチクは書きました。「義務教育からやり直しさせます」
海軍服や鼓笛隊衣装に統一。スモッキンという犬がリーダーに。
これはバンドにポップさを持たせる作戦。暴れるファン層をおさえ、女性ファン層増加を狙いました。露骨です。そこがいい。

ライブを重ねるごとに洗練され、「デスマーチ」スタイルが確立されます。
音の軸になるのは和尚のウッドベース。打楽器のような音をだす、ハイレベルの高速スラップ奏者に育っていきます。
これにギター、ドラム、ホーン隊でトランペットとサックスが入り音が深みを増していく。彼らなりの「デスマーチ」を完成させていきます。

彼らは自爆することで自らを破壊し、他人の感覚もぶっ壊すための爆弾的な曲をメインにしていました。
「自爆弾」という曲が顕著。ライブでも必ずと言ってもいいほど演奏される代表曲で、消火弾として生まれた特攻自爆弾の歌です。彼らのスタンスと音楽性を知るなら、この一曲を聞いてください。
つづけてセカンドアルバム『夢で逢いましょう』を制作。
生首が大砲から発射されるコラジャケットで、和尚自ら作ったもの。
ところが当時ある殺人事件が起き、発売延期して急遽修正。メジャーゆえのしがらみです。
中身は相変わらず。「性技の味方スペルマン」とか実に素晴らしい。
今覚えば、偶然ではあるんですが「混沌」で不安な90年代末は、悪趣味ブームが蔓延した時期。彼らの攻撃性、衝動で自分も他人もぶっ壊していく感覚はシンクロしていたように思えます。少なくともぼくは、だからこそ、このバンドに強く惹かれました。

その後丸尾末広によるジャケットのサード・アルバム『空にはとどろ。号砲の。』をリリース。
トラウマ運動会がコンセプトのこのアルバム、「荒波越えて」「オクラホマミキサー」「ウィリアムテル序曲」など、聞いたことのあるマーチのアレンジのオンパレードです。
デスマーチ艦隊は面白いバンドだ。ファンの期待は、どんどん高まり始めました。

こうなってくると、和尚の中で苦悩が生まれてきます。
今までは「破壊」のためにやってきた。でもメジャーデビューで、破壊できないほど大事なものができはじめた。感動までされた。
こうして、シングル『いろいろあるけどラララのラ』が誕生します。
ぼくは最初聞いた時に「日和りすぎ!!!」と度肝を抜かれたものです。今まで「死刑!」とか「ズガイコツコッセツ」とか言ってたバンドが、いきなり、人生色々あるよとか、こんな時代だから愛の言葉とか、えー!?って。ワードボムとか言って、歌詞は爆弾だと言っていたのに! 手のひら返しだろうと。

これは今思うと、日和ったのではなく「決断」でした。
スモッキンの目を通じて初めて分かった、自ら変わらねばならい、発信する音も変えねばならない、という決断。

●デスマーチ艦隊、爆沈す!
日本の音楽としての表現、マーチ形式の音作り、観客に向けて聞かせる音楽。
そしてデスマーチ艦隊の破滅的な方向性では、もう自滅しかない。和尚の腱鞘炎もやばい。
これを考えた時、デスマーチ艦隊本来の、何も吸収せずに衝動で動いてきたスタイルとはあわない、という結論に達します。
こうして、1999年。デスマーチ艦隊は、堂々の自爆(解散)をします。

「破戒僧デスマーチ艦隊は全てを破壊する前にその船を自らの手で沈没させることが出来たのだと思う。残したものは、「創る」という道。それを残すことこそ、自分の中でのデス艦の本当の使命だったのだと思うのだ」
『THE OTHERS DEATH MARCH』より)

その後ダイナマイト和尚とギターのシンヤ二時は、『いろいろあるけど〜』で組んだテンタクルーズ交競楽団と共にマッハマーチジャポニカを結成。
その後すぐに2000年、さらにコンセプトと音の方向性、エジャニカ・サウンド(和風・アジアンテイストのメロディとリズムのこと)をハードマーチで演奏するスタイルを突き詰めるために百怪ノ行列を結成します。
2003年以降は浅草ジンタと名前を変え、今も昭和初期、和風メロディのハードマーチをスラップベースに乗せて歌い続けています。

●デスマーチ艦隊、浮上す!
昨年、デスマーチ艦隊の初代マネージャーがガンで亡くなりました。
徳田稔と和尚が飲みながら、一度デスマーチ艦隊を復活させたい、という話が上がります。
まずは今まで廃盤になっていたCDの復刻。
もう10年以上たって落ち着いて見てみたら、あの頃の激しい衝動も面白いじゃないか。こうして、一回限りのライブが復活しました。

音の技術面の部分やパフォーマンスはDVDを見てください。
確かにトランペットの音が、パフォーマンス重視なためブレまくるんです。そこがいいのがデスマーチ艦隊。
脱がなくなったけど、楽しそうに演奏し、おなじみ組体操もやる。
皆が円熟しました。それぞれ守るものが公私共にあり、地に足が着いています。

自分たち自身で、海に沈んだ「デスマーチ艦隊」という不発弾へ捧げる、レクイエムのようなライブ。
全く知らない人から見ても、熱気は伝わると思います。
亡くなったマネージャーの写真を、ライブ中に捧げています。
「メジャー」であるということをちょっと考えるようになりつつも、突撃してもう一度轟沈していく様を、是非見てください。

次があるのかないのか……誰にもわかりません。
あるとしても、以前の「デスマーチ艦隊」はありません。やるとしたら「新しいデスマーチ艦隊」でしょう。
混沌の90年代後半のめちゃくちゃさ、不安さの中で浮上し、一瞬にして爆沈したデスマーチ艦隊。
10年代に入って、「いろいろあるけどラララのラ」な日々を乗り越えて年輪を刻みました。
死神艦隊な彼らには、幽霊船でもいいからもう一度やってきて砲撃してほしいものです。


『愛と真実の不発弾!』
『THE OTHERS DEATH MARCH』

(たまごまご)