とんねるずの石橋貴明と木梨憲武は帝京高校の同級生で、「貴明&憲武」のコンビ名で活動を始めた。高卒後、2人とも就職したものの、1980年に放送の始まった日本テレビのオーディション番組「お笑いスター誕生!!」への出場を機にやめてしまう。ちょうど東京・赤坂のレストランシアター「コルドンブルー」に面倒を見てやるからと誘われていたこともあり、踏ん切りをつけたのだという。井原からとんねるずと命名されたのも、コルドンブルーでの修業中のことだった。
《木梨 (中略)「たかあき&のりたけ」じゃ覚えづらいから、明日までに考えてあげるからって。次の日に「できたできた」なんつーて、もらった名前がこれなんです。
石橋 貴明のTと憲武のNで「とんねるず」。普通、なんかあるじゃない、意味が。これはなんにもないの! 最初「とんまとのろま」はどうだって言われて、それだけはカンベンしてくださいって言ったんだけど。(笑)だから、これが最初キライでねえ》(「広告批評」1986年3月号)
井原高忠は、日本テレビ在職中の1971年から退職する80年前後まで10年間、コルドンブルーでフロアショーの演出をしていた。とんねるずと出会ったのは、おそらく日テレをやめるかやめないかという頃だろう。もっとも、客が大人ばかりのコルドンブルーで、とんねるずはちっともウケなかったらしい。木梨いわく、出演し始めて