5月5日は「こどもの日」。プロ野球の世界で頑張るルーキーたちは、どんな幼少期を過ごしていたんでしょうか。

巨人のドラフト1位・竹丸和幸投手(24)、西武の2位・岩城颯空(はくあ)投手(22)、広島の5位・赤木晴哉(せいや)投手(22)や、角界からは大関・霧島(30)が、夢に向かって頑張る子どもたちにエールを送ります。

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巨人・竹丸和幸 小さい頃は、漠然とお金持ちになりたい! と思っていました。当時はプロ野球選手名鑑の年俸のところばかり見ていて(笑)。僕は阪神ファンだったので、金本選手の欄にたくさんのゼロがついていたのを覚えています。子どもながらに「すごいな」と憧れていました。

 幼い頃からプロ野球選手にはなりたかったけれど、中学生くらいの頃には自分よりも上手な選手がたくさんいて、とても自分がプロになれるとは思っていませんでした。諦めずに野球を続けてきたことが、今につながっているのかな。正確に言うと、野球をやめたいと思うこともあったけれど、気づいたら続けていたという感じですね(笑)。今思うと、やめなくて本当によかったです。

 子どもたちには、たくさんの経験をしてほしいと思っています。今野球をやっている子たちも、野球に限らず、いろいろなスポーツにチャレンジしてほしい! 僕はずっと野球だけしかやってこなかったので、得意なのは投げることだけ。この前(4月22日の前橋での中日戦で)打った初安打? あれはきっとたまたまです(笑)。

 あとは勉強ですね。僕はあんまり、机に向かうのが得意ではありませんでした。勉強は面白くないかもしれないけれど、頑張ったら必ず自分の将来につながります!

 いろいろなことに興味を持って、たくさんの経験をしてほしいです。みなさんのことを、精いっぱい応援しています!

西武・岩城颯空 記憶にないんですけど、保育園の時には将来の夢に「プロ野球選手」って書いてたんです。この前ドラフト後に(保育園の先生に)あいさつに行った時に見せてもらってビックリしました。本格的にプロを意識し始めたのは高校3年生ぐらいで、大学3年生ぐらいにもっと強くなった感じですね。あと憧れたのはパン屋さん。パン好きなので、パン作るのも面白そうだなと。全体的に好きで、食パンとかメロンパン、クロワッサンとかも好きです。

 夢をかなえるために、毎日一生懸命やってましたね。ランニングとかめちゃくちゃ嫌いなんで、例えば(目標の)タイムをセットされても切れないことが多かったんですけど、最後までしっかり走りきる、とか。自分のペースで全力疾走。

投手に専念したのは大学生になってからなので、それまでは素振りも毎日やってました。これがプロ野球選手につながったのかもしれないです。

 もしプロ野球選手を目指すとしてもまだまだたくさんの時間があると思うので、その目標だけを見てると苦しくなったりすると思うんです。やるからには、「野球が楽しいからやってる」という気持ちを忘れずにプレーしてもらいたいですね。

大関・霧島 モンゴルでの幼少期は警察官になりたかった。近くで見ていてかっこよかった。当時は制服を着て仕事する姿を想像していた。でも、幼稚園の頃にモンゴル相撲を始めてからは、テレビに出ているような強い人になりたいとも思っていた。

 15歳からは柔道にも取り組んで、五輪に出たかった。東京の講道館で合宿した時には2021年東京五輪金メダルのウルフアロン選手がいた。同世代の強い選手の技は刺激になった。当時は00年シドニー五輪金の井上康生選手の動画を見て、得意の内股をマネした。

 角界に入門したのは、当時の陸奥部屋のテストに誘われたのがきっかけ。モンゴルで朝青龍関や日馬富士関(ともに元横綱)の取組は見ていた。来日してからは当時の師匠だった陸奥親方(元大関・霧島)の現役時代の映像を見ていた。親方みたいになりたいと思って一生懸命、稽古した。

 どれだけ夢や目標を持っても、楽しくなければいけない。子供たちに伝えたいのは、覚えたいと思った技術を持つ有名な選手の姿をしっかりと見て勉強すること。できれば生の試合がいい。そうすれば努力が楽しくなるし、稽古や練習が苦じゃなくなる。すると自然と強くなれるんだ。

 もうひとつは高い目標を持つこと。自分が新大関になった時、すごく緊張していたけれど、師匠に「大関は通り道。目標は横綱だろ」と助言された。

もっと上を目指すために「ここで緊張してどうするんだ」と目が覚めた。ボクシングなら世界王者だね。言葉や心持ちで練習する姿勢は変わってくるはずだよ。

広島・赤木晴哉 実は子供のころ、「野球選手になりたい」と言ったことは一度もありません。僕は8人きょうだいで5番目の次男。全員がそろうことは少なかったですが、たまに家族でフードコートに行った時、毎回食べていたラーメンがおいしくて、ラーメン店の店員さんになりたいとか言っていたかな(笑)。野球に執着はなかったし、長くプレーすると思っていませんでした。

 転機は佛教大2年。報道でプロ注目右腕として取り上げられたことで、「プロ行けなかったんや、あの人」より、行った方がかっこいいなって。自分にプレッシャーをかける意味でも「プロに行きたい」と公言するようになりました。

 幸運なことに、同じ京滋大学リーグには楽天のドラフト1位・藤原(花園大)がいました。空き時間があれば、「この時間、藤原なら無駄にしないだろうな」と、個人契約していたジムで筋トレに励みました。

 子どもたちには、けがだけはしてほしくないです。僕は天理で故障に悩まされましたが、同級生でエースの達(日本ハム)は、寮で入念に準備をしていました。高校時代は今も悔いが残っている。野球は準備のスポーツだと思っています。

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