北中米W杯(日本時間6月12日開幕)の日本代表メンバー発表会見が、15日に行われる。8大会連続8度目のW杯に臨む森保ジャパンのメンバー26人が決定する。
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2002年5月17日、トルシエ監督はフランス―ベルギー戦視察のためパリ郊外の自宅におり、自国開催の02年日韓大会のメンバー発表会見には出席せず。発表15分前にメンバーを日本協会側に通達し、日本協会の強化推進本部・木之本興三副本部長が23人を読み上げた。
最も波紋を呼んだのはMF中村俊輔の落選。背番号10をつける予定の看板選手がメンバーから外れたのは衝撃を呼び、日本サッカー協会には「どうして俊輔が選ばれないのか」という“怒りの抗議”の電話が殺到した。当時、協会には1~2人しかおらず、パニック状態にもなった。俊輔は悔しさを押し殺しながら、横浜・東戸塚にある横浜Mクラブハウス内での会見に臨むと「(落ちた理由は)分かってます」と淡々と語った。
同年3月のポーランド遠征からの帰国後にエコノミークラス症候群を発症し、肺動脈血栓塞(そく)栓症からの復帰を目指したFW高原直泰もメンバー漏れ。MF名波浩は右膝の手術から代表復帰を目指したが、かなわなかった。
一方で、“ゴン”ことFW中山雅史、DF秋田豊がメンバーに滑り込んだ。2人のベテラン選手が呼ばれたきっかけは直前のノルウェー戦。
1998年フランスW杯で、日本人初で唯一のゴールを決めた中山は背番号10を託され「何度倒されてもはい上がって向かっていく」とコメント。既にW杯期間中の解説の仕事を引き受けていた秋田も、報道陣の前で「どっきりカメラがあるんじゃないの?」と冗談を飛ばしながら喜んだ。中山は1次リーグ第2戦のロシア戦での途中出場のみ、秋田は一度も出場がなかったが、両選手とも初の決勝トーナメント進出を陰から支えた。
この大会の躍進により、日本サッカーの成熟が認められ、欧州スカウトからもより注目されるように。大会後には日本人選手の欧州挑戦が加速し、次の06年ドイツ大会へ期待が高まっていった。
【日韓大会メンバー】
▼DF 秋田豊、服部年宏、森岡隆三、宮本恒靖、松田直樹、中田浩二
▼MF 森島寛晃、中田英寿、福西崇史、三都主アレサンドロ、戸田和幸、明神智和、小笠原満男、稲本潤一、小野伸二、市川大祐
▼FW 中山雅史、鈴木隆行、西沢明訓、柳沢敦

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