第93回日本ダービーは5月31日、東京競馬場で18頭が世代の頂点を競います。スポーツ紙・夕刊紙8紙の特別企画で、スポーツ報知の競馬記者が熱く語ったのは、“初めてのダービー”。

あなたと同じダービー馬を推す同世代の記者はいますか? 第3回はディープブリランテ世代の西山智昭記者の登場です。 

 勝者も涙。敗者も涙。勝つことの重み、難しさをまざまざと見せつけられたのが、初めて日本ダービーを取材した2012年だった。

 この年の3冠初戦・皐月賞ゴールドシップが勝利。2着ワールドエース、3着ディープブリランテと関西馬が上位を占めたこともあり、普段は美浦トレセンで取材していた私も2週続けて栗東トレセンに出張して状態を入念にチェック。日本ダービー当日の東京版一面では「超自信」の見出しでゴールドシップに本命を打ったが、勝ったのは「甲乙つけがたい状態」と記していた対抗のディープブリランテの方だった。

 ある程度ペースが流れたことで課題の折り合いがつき、直線は先に抜け出して押し切りを図った。ラスト200メートルを切って先頭に立ったときは、このまま押し切ると思われたが、しかし、外から同じ勝負服のフェノーメノが猛追。最後は内、外離れてほぼ同時にゴールに飛び込んだ。

 写真判定の末、電光掲示板に灯ったディープブリランテの馬番「10」が見えた瞬間、岩田康誠騎手は馬上であふれる涙を抑えることができなかった。「『泣いたらあかん』。

そう言い聞かせても、どうすることもできませんでした」。号泣しながら検量室に戻ってきた鞍上を迎えた矢作芳人調教師の目もまた、涙でぬれていた。

 一方、鼻差の2着で頂点に届かなかった蛯名正義騎手は無念の涙をこぼした。「悔しすぎて何とも言えない」。絞り出すようなコメントに、私の胸もギュッとなった。

 一流のトップアスリートが人目もはばからず感情をむき出しにして喜び、悔しがる。当時から取材をするたびに耳にした「日本ダービーは特別」という言葉の意味は、今なお深く脳裏に刻まれている。

〈2012年日本ダービーVTR〉

 好スタートを切ったディープブリランテはゼロスの作る速めの流れのなか4番手をキープ。スムーズに折り合って迎えた直線は坂上あたりで鞍上がゴーサイン。ラスト200メートルで先頭に立ち、強襲してきたフェノーメノの猛追を鼻差しのいで世代の頂点に立った。

 ◆西山 智昭(にしやま・ともあき) 1976年5月11日、佐賀県生まれ。01年入社。

サッカー担当、巨人担当を経て12年から競馬担当。17年10月から19年5月まで東京本紙予想担当を務め、21年1月から本紙再登板。

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