天心戦でセコンドにも入っていた尚弥は、拓真の激闘をどう見ていたのか(C)産経新聞社

天心戦は「褒めてあげていい試合」

 井上兄弟にとって重要な1日が間近に迫っている。5月2日、東京ドームで世界スーパーバンタム級4団体統一王者の兄・尚弥(大橋)は3階級制覇王者の中谷潤人(M.T)と防衛戦を戦い、WBC世界バンタム級王者の弟・拓真(大橋)は4階級制覇王者である井岡一翔(志成)の挑戦を受ける。

【動画】繰り出されるボディショット!井上尚弥の“音”に着目

 ヘビー級で時代を作ったウクライナのクリチコ兄弟に、メキシコのマルケス兄弟、アメリカ中量級のチャーロ兄弟など、ボクシングの歴史上で“兄弟王者”が誕生した例は少なからずある。

日本でも亀田3兄弟、近年の重岡兄弟などが世界王座に同時君臨したケースはあった。それでも2人の“ブラザーズ”が同じ日にこれほど重大な試合を行った例は過去に類を見ない。そういった点でも、“The Day”と銘打たれた興行には、特別な意味がある。

「前回同様、兄と一緒に出られる凄みを感じながら、東京ドームという他では味わえない異様な空間なので、その空間を楽しみながら戦っていきたい」

 今回、井岡という百戦錬磨の難敵を迎え撃つことになった拓真が公開練習で残したコメントからも感慨深さが伝わってきた。

 彼の言う“前回”とは2年前の東京ドーム決戦。尚弥がルイス・ネリ(メキシコ)を5回KOで下した興行のアンダーカードで、拓真は石田匠(井岡ボクシングジム)に先制のダウンを奪われながら、逆転の判定勝ちで当時保持していたWBA世界バンタム級王座の防衛を果たしていた。

 あれから時は流れ、井岡とのキャリア最大の一戦を前にして、ボクシング界における“格”は一段上がった印象がある。石田戦後、堤聖也(角海老宝石)との激闘に敗れ、一度は世界王座から陥落した拓真だったが、昨年11月、トヨタアリーナ東京で行われたWBC世界同級王座決定戦で那須川天心(帝拳)に3-0の判定勝ちで王者を奪取。

 戦前の予想ではやや優位と目されたキックボクシング界の元スーパースターを明白な内容で破った勝利のインパクトは大きかった。それは偉大な兄の陰に隠れてきた感のある弟がついに強烈な輝きを放った瞬間でもあった。

「褒めてあげていい試合ですし、よくやったって言いたいですね。弟にも直接、それは伝えました」

 那須川戦の後、実兄としての厳しさと誇らしさが同居したような尚弥の表情も実に印象深かった。

「天心という名前を忘れれば、あの内容になる」――天心戦で井上拓真を突き動かした兄・尚弥の“言葉” 乗り越えた先に待っていた井岡一翔との“審判の日”

井岡と対峙した拓真。試合に向けた調整も万全だ(C)Lemino/SECOND CAREER/NAOKI FUKUDA

次なる相手は、名誉の殿堂入りも有力視される最大の難敵

 そして、試合後のインタビューで真っ先に拓真のパフォーマンスについて問われた際の“モンスター”の分析はさすがに見事なものだった。

「(那須川の動きの良さは)1、2ラウンドはちょっと自分の想定外でしたけど、ただ全体を通せば、まあ考えていた範囲内ですね。あの1、2ラウンドのボクシングを12ラウンド通じてできないというのが天心のキャリアの浅さであり、たぶん相手陣営の弱みでもあったのでしょう。これがあと10戦、15戦とキャリアを積む時間があるのだとすれば、1、2ラウンドのボクシングをしっかりと12ラウンドできるようなメンタルとボクシングの厚みができれば、もう手のつけられない選手になると思います」

 その尚弥の言葉は、那須川のポテンシャルの高さを認めつつ、現時点では世界最高レベルではないと指摘するものだった。それを根拠に、事前に「絶対に勝てるから」と尚弥自身が、弟に那須川との早期対戦を勧めていた。逆に言えば、それは兄の拓真の能力に対する信頼の裏返しでもあったのだろう。

「(那須川は)今後、世界王者になる選手であり、それだけの実力はあるとしても、(今は)“一流”であり、“スペシャル”ではない。(拓真には)まず名前を取り除き、そこから来る緊張感や気負いなしに臨もうと伝えたんです。まず、那須川天心という名前を忘れれば、あの内容になると思いました」

 それはつまり、弟の拓真は“一流”のボクサーには勝てる選手であること、スペシャル”に近い位置にいることを示す言葉でもあったはずだ。

 東京ドームのアンダーカードで拓真は再び王者としての真価を問われる。前戦の相手だった那須川はボクサーとしては明らかに経験不足だったが、この週末に戦う井岡は引退後の名誉の殿堂入りも有力視されるほどのレジュメを誇る。

バンタム級での実績こそ1戦のみとはいえ、拓真にとってこれまでで最大の難敵に違いない。

「天心との試合での出来を思い返し、やはり拓真が優位なのではないかと思う。とはいえ、井岡の技術と経験は決して侮られるべきではない」

 米老舗誌『The Ring Magazine』のトム・グレイ記者はそう展望していたが、実際にこの試合は息もつかせぬ技術戦になることが有力だ。そんな攻防を制し、那須川、井岡という2大ビッグネームを連破となれば、拓真の王者としてのステイタスはさらに大きく跳ね上がる。その時には、正真正銘な“スペシャル”なチャンピオンとしてより多くの人に認められることになるのだろう。

 5月2日は、拓真にとっての新たな“審判の日”。そのパフォーマンスとともに、自分自身のスーパーファイトの前に、控え室のモニターで拓真対井岡戦もチェックするであろう兄・尚弥が試合後、弟の戦いをどう評価してくれるかが今から楽しみでもある。

[取材・文:杉浦大介]

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