『1984年のUWF』が、契機となった。
前田日明は『1984年のUWF』のどこに怒ったのか「俺たちのプロレス VOL.7」インタビューを読む

1月に発売されたこの一冊によって、業界内は喧々諤々。
プロレスライターの斎藤文彦氏は「サイテーの本!」と断罪し、新生UWFに所属したプロレスラーの船木誠勝は「そんなことが書かれてるんですか? それは全然違いますよ(苦笑)」とリアクション。新生UWFのスタッフであった川崎浩市氏も、同書に書かれた記述に上書きするような発言を残している。また、先日に出版された『証言UWF 最後の真実』では、選手や関係者から『1984~』の内容とは異なる証言が引き出され、当事者にそれぞれの“真実”があることが浮き彫りとなった。

そして、前田日明である。2月末に放送されたニコ生「RINGSチャンネル」にて、前田は同書について「全然見てない。取材も受けてないし」とコメントしている。


前田日明に取材しなかった理由について、著者の柳澤健氏はゴング格闘技(2017年4月号)のインタビューにてこう説明した。
「ありとあらゆるUWF関係の書物が、もう百冊くらいあるじゃないですか。百冊全部が前田が表紙で、巻頭が前田インタビュー。今更何を聞かなくてはならないのかということですよ」

3月2日に開催された『真説・長州力』著者・田崎健太氏とのトークショーでは、こうも発言している。(以下、「現代ビジネス」記事より引用)
「すでに前田の言い分、大きく言えば前田史観は確立されている。多くの人たちが知っているUWFの歴史は、前田史観による歴史なんです。
僕はその史観から解き放たれて、自由にものを見たいと思った」
「もし僕の前田日明インタビューが実現すれば、当然、前田は僕の取材意図を知ることになる。僕が前田史観から離れて自由に考えようとしていることがわかれば、『取材を受けた以上はゲラを確認するのは当然だろう』という論理で押してくる。ゲラを見せれば『ここは違う、あそこも違う』と直してくるのは充分にありえる話。検閲される恐れがある、ということです」
「もうひとつは、前田日明が魅力的であることは十分に分かっているので、会ってしまえば、僕が書くものを攪乱されてしまうかもしれない、という懸念があった」

私の感想を言わせてもらうと、前田日明に取材をしなかった柳澤氏の言い分については腑に落ちる部分も多い。特に、検閲の部分。本人取材を経て鋭さが失われたり意図が達成できないのならば、過去の発言を掘り起こす作業に専念する方をとるという著者の考えには同調できる。


前田日明の大反論


4月に発売された「俺たちのプロレス VOL.7」において、前田日明がインタビューを受けている。
前田日明は『1984年のUWF』のどこに怒ったのか「俺たちのプロレス VOL.7」インタビューを読む

『証言UWF 最後の真実』は、実はそこまで“対・柳澤本”に偏った内容の書籍ではないのだが、「俺たちの~」のインタビューでは前田本人が思いっきり『1984年の~』に言及。ここでも前田は、同書について「読んでいない」と発言しているのだが、正直言って読んでないわけがないと思う。

前田は、『1984年の~』のどのような点について反論しているのか。
『1984年のUWF』では、旧UWFの旗揚げ戦のメインイベントについて「興奮した日本人のベビーフェイス(前田のこと)は、観客を喜ばせることよりも、むしろ自分を強く見せることに夢中になっていた」と書かれている。また、前田の対戦相手となったダッチ・マンテルの著書からも印象的な箇所を引用。「その一撃(前田のニールキック)で俺は失神し、目からも口からも、そして鼻からも出血した」「その後のことは、マエダが俺をピンフォールしたことも含めて、何ひとつ覚えていない」といった部分だ。

これについて、前田は「俺たちのプロレス」インタビューにてこう反論する。
「ケガなんてさせてないよ。そんなにあちこちから出血するようなケガだったらもっと大ごとになってるはずだし、マンテルは帰国もせずにその後もずっと試合してるんだからわかるだろ(笑)」

『1984年のUWF』では、「佐山のシューティング・プロレスを全否定した前田日明は、自らの団体である新生UWFを旗揚げする際には、佐山のシューティング・プロレスを模倣せざるを得なかった」と書かれている。「新生UWFは、佐山がつくったシューティング・ルールをほぼそのまま採用した」「新生UWFのレスラー全員が、佐山が考案したシューティング・レガースとシューティング・シューズを身につけていた」の部分だ。
これについて、前田はインタビューでこう反論した。
「俺が佐山さんの作ったスタイルをパクってどうのこうのって言われてるけど、ルールにしても、俺は佐山さんが作ったものがいいと思ったから『使いますよ』ってハッキリ言ってるし、勝手にやったわけじゃないんだよね」

『1984年のUWF』では、新生UWFが開催した東京ドーム大会「U-COSMOS」について「巨額の赤字を出したのである」と書かれている。

これについて、前田はこう反論した。
「赤字じゃないよ! だってメガネスーパーとゼンショーがスポンサーについて、それだけでも相当な額だから」

「あの柳澤ナントカって、俺に取材してないんですよ」


前田は、やはり自分に取材をしないで断定的に自身やUWFについて書かれたことを腹に据えかねているようだ。
「だってね、あの柳澤ナントカって、俺に取材してないんですよ」「自分の感覚で『そうに違いない』と思って書いただけ」「本を売るためにヒールとベビーフェイスを作り出して、面白い話にするために、事実を変えて俺がヒールにされただけの話だよね。佐山さんをベビーにして」「柳澤ナントカにはどこかで直接言ってやるよ!」

『証言UWF 最後の真実』を読むと、同じ場所にいた当事者たちそれぞれの記憶や印象がまるで一致していないことがわかる。彼らが嘘をついているとは思わない。単に“真実”が一つではないということだ。
「俺たちのプロレス」での前田の発言と異なる“真実”を持つ当事者も、きっといることだろう。

何度も言うが、柳澤氏が前田に取材をしなかった意図に異論はない。ただ、今回のように前田が憤ることは覚悟しなければならないし、言われなくても柳澤氏は覚悟を持って書いたに違いない。
しかし、一つだけ。「前田史観」「佐山史観」という言葉が一人歩きしているが、『1984年のUWF』は「佐山史観」ではなく「柳澤史観」と呼ぶほうがふさわしい気がする。
(寺西ジャジューカ)