
日本は江戸時代に「鎖国」を行っていたことは広く知られている。鎖国中は海外の文化との接触は限定的であり、西洋の進んだ文明から長らく取り残された状況となっていたと言えるだろう。しかし、ペリー来航によって鎖国が終わり、明治維新によって国の体制が変わると一気に国力が伸び、列強の一角となるまで発展を遂げた。
記事は、日本が明治維新後に飛躍的な発展を遂げることができたのは、3つの理由があると指摘している専門家がいるとし、その理由のいずれも中国に関係していると紹介。まず1つ目の理由が「中国文化」そのものであり、日本は中国から儒教を学んだが、主君への忠義を強調する儒教のおかげで国民全体が天皇に忠義を示すことに貢献したと主張。これに武士道が加わって「空前絶後の団結力」を生んだと主張した。
2つ目は「中国の本」の影響で、清末の地理書で当時の世界情勢を記した「海国図志」が日本の近代化に大きな影響を与えたと説明。当時の清では見向きもされなかったこの本が、日本では大きな影響を与えたとしている。海国図志は「外国の侵略にやみくもに立ち向かうのではなく、外国の進んだ文明を学び、それを以って対抗すべき」と説いた本であり、吉田松陰など日本の明治維新の立役者たちも影響を受けたと言われている。