3日に一周忌を迎えた“ミスタープロ野球”長嶋茂雄さん。今なお鮮烈なその記憶を、スポーツ報知では「ミスターの世界」と題した連載で振り返る。

第4回は、1992年から2000年までの監督在任中、広報担当を務めていた香坂英典氏(68)が、00年2月の宮崎キャンプでの背番号3の復活劇、松井秀喜氏との師弟関係、ミスターのファンに対する思いなどを回想する。(取材・構成=秋本 正己)=敬称略=

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 燦々と輝く陽光が栄光の背番号3を照らしていた。2000年2月12日、宮崎キャンプ。前年、長嶋茂雄監督は広島からFAで加入した江藤智に背番号33を譲り、再び永久欠番の3番を背負った。そのお披露目がこの日だった。

 「我が巨人軍は永久に不滅です」と叫んで引退した1974年10月14日以来9252日ぶりの復活。その“舞台”を取り仕切ったのが香坂だった。「あんなことやったことがない。大イベントでした」。懐かしさに目を細めた。

 背番号3のお披露目はいつになるのか。この年の宮崎キャンプの最大の関心事だった。

冷たい霧島おろしが吹きつけるキャンプ序盤は厳しい寒さに包まれる。ミスターはなかなかグラウンドコートを脱がず、どのタイミングでユニホーム姿になるか予測がつかない。カメラマンは四六時中、その背中を追いかけた。香坂は「いつ、お披露目するのか。決定的瞬間を撮りたいとメディアの目がギラギラしていた」と述懐する。

 監督付広報の小俣進から「やるぞ」とささやかれたのは当日の朝。舞台は主に内野手の守備練習で使っていた宮崎県総合運動公園(現ひなた宮崎県総合運動公園)内のA球場と呼ばれる軟式野球場だ。江藤が特守をしているA球場に長嶋監督が登場。グラウンドコートを脱いで背番号3を披露し、江藤にノックするという“設定”だ。

 混乱を起こさないためには準備が必要。報道陣にはそれとなく伝え、グラウンド内のカメラマンを1社1人に制限するなど万全の配置を敷いた。監督の導線、立ち位置の確認などリハーサルも完璧だった。

 予告があったわけではないが、3連休中日の土曜日。晴れとあって運動公園周辺には当時の史上最多観客数を7000人も上回る5万5000人のファンが詰めかけた。A球場には約200人の報道陣が集結し、スポーツ報知はカメラマン4人を配置。その瞬間を撮り逃すまいと殺気立っていた。

 盛り上がりをみせる中、長嶋監督は江藤が特守をしているA球場に登場。監督車を降りてグラウンドに歩を進めると、さっそうとグラウンドコートを脱いで背番号3を披露した。篠塚和典コーチに代わってノックバットを握ると「さあ、いくぞ江藤!」と声をかけて41分間、223球を打ち続けた。A球場を取り囲んだファンから大きな拍手が起き、背番号3の復活ショーは見事に成功した。

 栄光の背番号3の復活をファンがどれほど待ちわびて、喜んでいるか。それを最もわかっていたのは長嶋茂雄本人だったと確信している。香坂の回想。「長嶋さんは演出家。

小俣さんはそれなりに教えてもらっていたと思うけど、それでも直前。キャンプのこの時期は次のクールあたりから実戦練習が本格化してくることに加え、休日でお客さんもたくさん来る。この大イベントは長嶋さんが感じて、タイミングも考えてやったのだなと。報道陣も長嶋さんのやり方を理解して信頼関係があったから、ファンに迷惑をかけず事故も起きなかった」

 大きな混乱はなかったが、香坂にとって想定外の事態が起きていた。車から降りた長嶋監督、所憲佐サブマネジャー、小俣広報に続いて人影が…。佐野元国バッテリーコーチだった。打ち合わせになかった佐野の登場に香坂は絶句した。

 佐野は何事もないようにホームベース付近で歩を止めると、ミスターが脱いだグラウンドコートをしたり顔で受け取るではないか。メディアからは一瞬、驚きの声が上がったが、その瞬間を撮れたとあってクレームはなかった。「栄光の背番号3のお披露目だよ。映らない手はないだろう」という佐野の一言に笑うしかなかった。「自分も篠塚も佐野も同い年で長嶋さんに憧れた世代。

だから佐野の気持ちはわかるよ」。今は笑って振り返られる。

 ◆香坂 英典(こうさか・ひでのり)1957年10月19日、東京都生まれ。68歳。川越工から中大を経て1979年ドラフト外で巨人に入団。現役5年間で1軍通算成績は8試合1勝0敗。引退後は打撃投手兼スコアラー、広報部、ファンサービス部、編成調査室、ファン事業部長などを歴任して2020年に退団。現在は社会人野球クラブチームの全府中野球倶楽部でコーチを務める。

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