もう20年以上前のこと、私は中国上海に語学留学しました。多くの貴重な体験をし、たくさんの思い出ができましたが、今でも忘れられないのが旅行中の出来事です。
留学して1年後、友人が山東省に留学し始めたので、旅行を兼ねて訪ねました。一緒に泰山に登って日の出を見て、大学の寮でお世話になった後、独りで青島に向かいました。青島での滞在時間は5時間ほどしかなかったので、タクシーで数ヶ所の見所を見て廻り早めに駅に戻りました。
タクシーを降りて、駅の写真を撮影しようと思い、カメラをしまった上着のポケットに手を入れました。「……ない!」。私は一気に血の気が引きました。手も震え始めました。そのカメラには、大切な旅の思い出が入っているので、失くすわけにはいきません。
当時はデジカメではなくフィルムカメラだったので、24枚分ではありますが、一番の思い出である泰山の日の出を撮影したフィルムはまだカメラの中でした。「どこだ? どこで落とした?」と思いましたが、どう考えてもタクシーの中です。
しかし、その時すでに乗ってきたタクシーの姿はありません。そこで私は客待ちをしているタクシーの運転手さんに声をかけ、経緯を説明しました。
その時点で、複数人の運転手さんが集まってきて、私の話を聞いてくれました。それが本当に心強くて嬉しかったのを今でも覚えています。
しばし話をする内に、ひとりの運転手さんが「運転手はラジオを聞いてることが多いから、ラジオ局に行ってメッセージを流してもらったらどうだ?」と提案してくれました。そんな方法は思いつかなかったので、これ幸いとラジオ局まで連れて行ってもらいました。
ラジオ局で、もう一度経緯を説明し、メッセージを一緒に作ってもらい、そのメッセージを複数回流してもらえることになりました。もちろん有料です。ラジオ局を後にする時、対応してくれたスタッフさんが「メッセージ、聞いてくれると良いね」と言ってくれて、事務的な対応ではないと感じられて嬉しかったです。
帰りは、ラジオ局まで乗せてきてくれた運転手さんが待っていてくれて、タクシーの中でメッセージが流れるのを聞かせてくれました。結局、青島駅にいる間に該当のタクシー運転手さんが現れることはなく、私は皆さんに感謝しつつ、仕方なく上海行の列車に乗りました。
数時間しか滞在しなかった青島で、たくさんの人が外国人である自分に親身になって対応して助けてくれて、カメラは手元にないけど、とても温かな気持ちになっていました。
翌日の早朝、上海駅に到着した私は、大急ぎで大学の寮に戻りました。なぜなら、当時は携帯電話がなく、国際電話も中国国内や市内からの連絡も寮の管理室の電話でやりとりしていたので、タクシーの運転手さんから電話が入った時に不在だったら……と不安だったからです。
寮に到着して、部屋に荷物を置いた途端、管理室から阿姨(寮の管理をするおばさん)が「橋本、電話!」と叫ぶ声が聞こえてきました。ダッシュで管理室へ行き電話に出てみると、待望の運転手さんからでした。
運転手さんは、ラジオを聞いてくれていました。そしてタクシーの中でカメラを見つけてくれたのですが、すでに私が青島を離れている時間だったことから、上海に着くのが翌朝であることを確認して、私が寮に着くであろう時間まで考えて連絡をくれたのでした。
私は、カメラが見つかったことだけでも嬉しかったのですが、そこまで考慮して連絡をくれた心遣いに感謝の気持ちでいっぱいになりました。ただ、それを中国語で上手く伝えられず「謝謝」「非常感謝」を繰り返すばかりでした。
数日後、カメラは郵送で私の元に戻ってきました。手紙も一緒に入っていて、「ラジオのメッセージから、大切な思い出が入っているカメラだと思いました」と書いてあり、メッセージを一緒に考えてくれたラジオ局の方にも改めて感謝の気持ちが芽生えました。
私はフィルムを現像して、泰山の日の出の写真をお礼の手紙に同封しました。事細かに覚えている思い出は数少ないですが、中でもこの出来事は青島の人々の優しさに触れ、感謝してもしきれないくらい助けてもらい、自分も中国語でよく頑張ったなと思えて忘れることはできません。
そんな中国語の上達は、同屋(ルームメイト)の存在が大きかったです。私より4歳年下の韓国人女性で、留学初日に部屋で顔を合わせてすぐに意気投合して、朝から晩までほとんど一緒に行動していました。辞書を引きながら会話をして、時にはお互いの母国語を教え合ったり、とにかく毎日が楽しかったです。
彼女との思い出も、そのカメラで収めていました。そのカメラはもう壊れてしまったけど、この時のことは、ずっと私の頭の中に残っています。
■原題:戻ってきたカメラ
■執筆者プロフィール:橋本 和加子(はしもとわかこ)会社員
1976年、栃木県生まれ。香港映画好きが高じて中国語を学び始める。専門学校アジア・アフリカ語学院中国語学科卒業。上海財経大学に語学留学。留学中の長期休暇を利用してひとり旅へ。広東省(広州市周辺)・チベット自治区(拉薩)・甘粛省(敦煌や莫高窟)・山東省(青島)などを訪れた。2019年、栃木県浙江省友好交流員として杭州市に5ヶ月間滞在。
※本文は、第8回忘れられない中国滞在エピソード「レンズ越しに見えた『本当の中国』」(段躍中編、日本僑報社、2025年)より転載したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。











