難波功士『人はなぜ〈上京〉するのか』は明治から現在にいたる“上京の状況”(なんてダジャレは本書には出てこないが)について、人口動態など各種データのほか、文学や歌謡曲、マンガなど多彩な作品を材料にその変化をたどっていく。
日本が近代化の道を突き進むなかで東京には全国各地から人が集まるようになる。しかし上京の理由はさまざまだ。家の期待を背負い立身出世をめざして東京に出てくる者がある一方で、貧困から故郷を捨てて上京した者もあった。立身出世をめざしての上京、貧困から脱出するための上京はいずれも、終戦直後の第1次ベビーブーム期に生まれた「団塊の世代」あたりまでは一般的なものとして続く。
若者たちを上京に駆り立てた理由はそれだけではない。1970年代以前、東京と地方とのあいだには圧倒的な落差があったという。本書に引用されている作詞家の阿久悠の手記によれば、兵庫県淡路島出身の阿久は上京するまでビルを見たこともなければ、入院以外でベッドに寝た経験を持つ者も周囲にはいなかったようだ。そんな地方の若者たちが、東京に過剰なまでに憧れを抱いたのは当然だろう。
だが少なくとも情報量の格差に関しては、テレビの普及によって埋められていく。交通網の発達、大規模な商業施設の進出などにともない地方都市の“東京化”も進んでいった。ここに《若者がいきなり地方から出てきたとしても、何事も「想定内の東京」として対処可能となる》時代が訪れる。
テレビの普及は一方で、マスコミの東京一極集中を加速させることになる。
とはいえ東京の物価、とりわけ不動産の価格はけっして安くはない。そのことはバブル崩壊後、不況が長引くなかにあって、上京者への大きな障壁となっている。それ以前に、いまや若い世代のあいだでは地元志向が強まり、それまでの世代にはあった東京への憧れみたいなものは薄まっているようだ。その理由として、著者はネットや携帯電話の普及による「通信環境の進歩」をあげる。《通信環境の劇的進歩は、都鄙[とひ。東京と田舎の意――引用者注]の情報格差を圧縮し、あえて物価の高い東京に移り住む意義を薄れさせていく》というのは、3年前に東京から郷里の愛知に戻ってきたぼく自身の経験からいっても非常に納得がゆく。
そういう現状を踏まえたうえで、たとえばいまもし、ライターになりたくて東京に出ようかどうか迷っている若者がいたら、どうアドバイスしようか。地方からも情報を発信しようと思えばさほど難しいことではなくなった時代なのだから、そう焦って上京することはない、と言うこともできる。反対に、短い期間でも東京で暮らすことはけっして無駄ではない、とも言いたい。何だかんだいって、マスコミの東京優位は変わっていないし、それに従事する人間がどこの地方にも増して多いからだ。
本書の著者もまた、就職のため上京し、以後大学院に入るなどして12年間をすごしたのち、阪神・淡路大震災の翌年に故郷である関西に戻ってきたという経験を持つ。ぼくと違うのは、もともと上京志向は「1ミリもなかった」ということだ。
《関西国際空港がまだない時代、大阪南部(大阪市に吸収合併されそうな堺市)で育った者には、東京はあまりにも遠い存在だった。難波や天王寺がホームで、キタ(梅田・大阪駅周辺)にいるとアウェイと感じてしまう人間にとっては、新大阪駅(新幹線)や伊丹空港はさらに遠く、その先にある東京は存在しないも同然だった。
最寄りの南海電車も国鉄(現JR西日本)阪和線も、キタには直通していない(しかも大阪市営地下鉄御堂筋線・堺筋線・谷町線などの南部への延伸以前の話)。(中略)何カ所もの乗り換えを経て、わざわざ上京する必要性は感じられなかった》
上に引用した「あとがき」の一節を読んで思い出したのは、先月まで放映されていたNHKの連続テレビ小説「カーネーション」だ。ヒロイン小原糸子は、堺市からさらに南海電車で南へ行った岸和田市で生まれ育ち、生涯故郷で洋裁の仕事を続けた。その糸子は50歳をすぎて、すでにファッションデザイナーとして成功を収めた娘たちから引退して東京に来ないかと誘われる。上京するか地元にとどまるか逡巡した糸子だが、けっきょく後者の道を選んだ。晩年は岸和田を拠点に、以前にも増して仕事で各地を飛び回る日々を送るようになる。
本書の最後に出てくる、《住めば都ではなく、住んでいるところが都》という文をまさに地でゆくような人生を小原糸子(およびそのモデルである小篠綾子)は送った。
もっとも、東京に住んでいれば仕事でも何でも選択の余地があるけれど、地方ではそれがいまだに乏しいというのもまた事実。著者の《地方に分散されたのは、ショッピングモールと原子力発電所だけ……という現実は悪夢でしかない。ジモトには公務員しか職がない、コンビニしか店がない、パチンコかスロットしかレジャーがない……という未来を時代に残していいものだろうか》という一文に、またしても身につまされるのだった。(近藤正高)