しかし、戦国の世には”たった200人の女鉄砲隊を率いて徳川家康から1万石を奪った女大名”がいたのです。
今回は、戦国の世を下剋上下で這い上がった女大名「池田せん」について紹介します。
■夫の死と再婚
池田せんは、織田信長の乳兄弟・池田恒興の娘として誕生。織田家臣の森長可と結婚し、息子の森玄蕃と娘のおこうを授かっています。
夫・森長可とも仲睦まじく、幸せな家庭を築いていました。しかし、1584年「小牧・長久手の戦い」で、父・池田恒興と夫・森長可が討死。
それでも池田せんは、幼い子供たちを抱えていたこともあり、悲しんでばかりいられませんでした。そして周囲からの勧めで、中村一氏との再婚を決意します。
■再婚後
再婚した池田せんは、1590年に息子・中村一忠を授かります。その後、夫の中村一氏は関ヶ原の戦より前に病死。
11歳だった中村一忠が、初陣した関ヶ原の戦で活躍しました。その功績が認められ、伯耆国(鳥取県西部)に17万5,000石の領地を授かり、大名となります。
池田せんはすぐに出家し、安御院となって息子・中村一忠の庇護下で隠居していました。
■息子の急死
関ヶ原の戦いから10年が経ち、再び平穏が訪れたと思った矢先のことです。息子・中村一忠が、20歳という若さで急死。
中村一忠には跡継ぎがいなかったため、徳川幕府に所領の没収と御家取り潰しを言い渡されてしまいます。
■200名の女鉄砲隊と池田せんの作戦
御家取り潰しとなると、家臣全員が路頭に迷うことになります。
早々に抵抗を諦めた家臣とは対照的だったのが、池田せん。
男たちが頼りないからと、城にいた侍女200名全員に鉄砲を持たせ、女鉄砲隊を結成。
たった200人で戦っても勝ち目がないことは分かっていましたが、武力抵抗の意志を見せることで、城を取り上げられたあとの生活費「堪忍分」を少しでも多くもらおうとしたのです。
■徳川家康もびっくり
徳川家康の命でやってきた使者たちは、鉄砲を携えた200人の侍女や城内のあちこちで鳴り響く銃声を不気味がりました。
池田せんは、そんな使者に「決して、城内に立て籠もって将軍様へ楯突こうなどとは思っておりません」とわざとらしく脅したと言います。
使者を通してこのことを知った徳川家康は、「あっぱれ!堪忍分として一万石を譲ってやろう」と城を明け渡したのでした。
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