文化史研究の第一人者ピーター・バークの注目作『無知の世界史』がこのたび邦訳されました。フェイクニュースが飛び交い、政治指導者が公然と知を否定する現代は、「無知」が蔓延している時代だとしばしば言われます。
◆「無知」の歴史をまとめあげた前人未到の労作
無知(イグノランス)、すなわち、知識の欠如と定義されるものは、どう考えてみても論ずべき主題のようには思われないかもしれない。私の友人が想像したのは、何も書かれていない真白な頁が続くばかりの本であった。にもかかわらず、目をみはるようなトランプ大統領とボルソナロ大統領の無知の事例に刺激されて──その他の政府のことは言うまでもない──、この主題はますます大きな関心を呼び起こしている。
事実、歴史家の関与こそ近年まで稀だったとはいえ、第4章で説明するように、「無知研究」という名で知られる学際的な営みの影響力はここ30年で高まってきている。いまこそ、能動的に無視することも含めて、無知の歴史上の役割を概観する時期であるように思われる。私は次のように信じるようになってきた。無知の役割は過小評価されてきており、その結果、誤解、判断ミス、その他の誤りにつながり、しばしば甚大な損害をもたらしてきた、と。その例証として一目瞭然なのは、気候変動に対する各国政府の対応があまりに不充分で遅きに失していることだが、私は次のことを明らかにできたらと思っている。無知の種類にしても、無知に続く大惨事の種類にしても、多様で多岐にわたっていることである。
わたしは本書を二種類の読者に向けて書いた。
未来に書かれる無知の歴史は、伝統的な流儀にのっとって、世紀ごとにまとめられた物語というかたちを取るかもしれない。さまざまな分野に共通する全般的な潮流を突き止めることは、そのような物語の端緒を開くだろう。本書がその種の将来の研究を促すことになれば幸甚である。ただ、無知の歴史が知られていない現状に鑑みると、当面は、特定の主題についての試論を並べた概説的な研究としてまとめるほうが現実的である。
アジアやアフリカの事例を多数取り上げてはいるものの、本書が焦点化するのは、私のこれまでの知識に関する研究と同じく、過去500年の西洋である。このような焦点化は、対照的な二つの理由で批判にさらされる。一方に、西洋以外の地域と、それ以前の時代を考慮に入れていないという理由での批判がある。他方に、1500年から1800年のヨーロッパという私自身の研究領域を越えているという理由での批判がある。
その他多くの衝突の場合と同じく、この状況でも歩み寄る余地があることを、読者に納得してもらえたらと思う。近世以前の時代と世界の多くの地域への言及がほとんどなかったり、まったくなかったりするのは、単純な理由による。「無知です、奥様、純然たる無知のせいです」──かつて〔サミュエル・〕ジョンソン博士は、自身のある著作の誤りを指摘してきた女性にそのように釈明した。他方で、近世ヨーロッパと近代世界との比較・対照は洞察をもたらすと私は固く信じている。この信念を強固なものにしたのは、フランソワ・ヴァケ〔フランスの歴史家〕の事例である。知識に関する著書を何作も出版してきたヴァケだが、そのいずれもがこの500年間をめぐるものであった。
長期的な展望に立つと、情報漏洩や偽情報のように往々にして近年のものとみなされることが、実は何世紀も前にさかのぼるものであることが明らかになる。また、「近世」(1800年以前)と「近代」という時代区分をまたぐ間の境界線を越えて続く漸進的で微細な変化に注意を向けることにもなる。したがって、本書の各章は近世の事例と近代の事例の両方を論じていく。
本書が提示する概観は、未来に書かれる歴史の序章として、ある土地についての多分に不完全な予備調査として読まれるのが最もふさわしい。未知についての地図というのは、矛盾した考えだと思われるかもしれない。だとしても、歴史学や社会科学の同僚のなかには、現実味のあるプロジェクトだとみなしている人々がいるし、私もその一人である。
[書き手]ピーター・バーク(ケンブリッジ大学名誉教授。『イタリア・ルネサンスの文化と社会』、『ヨーロッパの民衆文化』、『ルイ14世』、『知識の社会史』、『文化史とは何か』、『文化のハイブリディティ』、『博学者』など著作の多くが邦訳)
[翻訳]岩井淳(監訳)、小田透、辻本諭、米山優子
【書誌情報】
無知の世界史著者:ピーター・バーク
出版社:名古屋大学出版会
装丁:単行本(372ページ)
発売日:2026-04-13
ISBN-10:4815812373
ISBN-13:978-4815812379