「大丈夫です。俊子がついていてくれますから。
石にかじりついてでも、アメリカの温情をかってみせるんです」(秋山篤蔵/佐藤健)
ついに最終回を迎えたドラマ「天皇の料理番」(TBS)。第12話(7月12日放送)では、終戦を迎えた日本で「天皇の料理番として何ができるか」を模索する篤蔵(佐藤健)の姿が描かれた。1945年8月15日正午、昭和天皇がラジオで国民に終戦を知らせる「玉音放送」が流れる。涙を流し、うなだれる大膳寮の人々の輪を離れる篤蔵。「夕食には何を食べていただこうか……」と青菜を洗い始める。

また、連合国軍総司令部(GHQ)がやってくると、機会があるごとに司令部に出かけ、料理はもちろん、あらゆる雑用を請け負う。日本に対する心証を良くして、皇室の処遇を寛大にしてもらおうという意図があった。しかし、宮内省内での反発は大きく、篤蔵自身も屈辱的な扱いをたびたび受ける。きわめつけはGHQの将校たちとその家族を招いた接待イベントでの嫌がらせだ。
日本男児の意地を見せた「鴨踊り」
篤蔵ら大膳寮の面々はGHQの要請で屋外にテーブルをセットし、料理を振る舞う。宇佐見(小林薫)や辰吉(柄本佑)、新太郎(桐谷健太)も助っ人に駆けつける。料理の評判もよく、将校たちや家族もご機嫌。そんな中、篤蔵は俊子(黒木華)にもらった形見の「鈴」がないことに気づく。
見つけた鈴を握りしめ、我に返った篤蔵は突然、鴨のモノマネを始める。誰がどう見ても、ふざけるな! と殴りかかるような場面で、いきなりの鴨踊り。アメリカ人たちもギョッとする。息苦しい空気を打ち破ったのは我らがグータラ男の新太郎。「鴨でっせー!」(大意)と叫び、ガハハと笑って場を和ませる。さらに辰吉とともに池に飛び込み、鴨踊りに加わる。息子が戦地に赴く年齢にしては、やや若すぎる行動にも見えるが、若い頃からの仲間だからこそできる無茶であり、気遣いという納得感もある。何より3人揃うと楽しげで、救われたような気持ちになった。
史実では、ハゲ頭にキスマークをチュッチュッ
GHQへの接待エピソードは、原作小説『天皇の料理番』のモデルとなった秋山徳蔵によるエッセイ『味』にも登場する。ドラマの終盤で登場したあの本だ。

この本によると、宮内省は進駐軍の高官を招き、鴨猟を実施した。とった鴨をすぐこしらえ、鉄板で焼いて食べさせたという。秋山は生来のかんしゃく持ちも、負けず嫌いも、自尊心も、恥も何もかも投げ捨て、《たいこもちになった》とある。許しがたい体験のひとつとして、こんなエピソードが紹介されていた。
《夫人たちが、「ヘーイ、マイ、ボーイ」とかなんとか呼びながら、抱きついてきて、私の禿頭にキッスをする。そして、ベタベタといくつもキッスマークをつけて、キャアキャアと大騒ぎする。そればかりか、ハンドバックから口紅の棒を出して、私の頭の上に日の丸を書くのだ》
けしからん、断じてけしからん。天皇の料理番に何たる仕打ち! それにしてもドラマの鴨踊りと比べるとどうも楽しげで、うっすらモテ自慢にすら見えるのは濁った心が見せる幻に違いない。
本当にあった「俊子の鈴」
ドラマの中で、かんしゃくを起こしそうになる篤蔵を何度も止めてくれた「俊子の鈴」。この鈴も、前述のエッセイ集『味』に登場する。秋山シェフは妻である俊子を《心の優しい女で、私はこの家内を熱愛していた。世界中に比べもののない、いい家内だった》と振り返る。
「たったひとつ、わたくしの心配なことはあなたが癇癪持ちでいらっしゃることですの。(中略)お願いですから、役所へいらっしゃいますとき、坂下門をおはいりになりますときに、この鈴を鳴らしてくださいませ。そして私が心配しておりますことを、思い出してくださいませ」
この本によると、秋山シェフは、俊子にもらった鈴をいつもポケットに入れて持ち歩いていた。《坂下門を入るときは、かならずそれをチリチリと鳴らして、自戒のよすがとした》という。
16歳で料理人を志し、20代半ばで天皇の料理人となり、80代半ばまで勤めあげた。起伏だらけの長い長い人生を描いたドラマは、見守り続けた妻・俊子の物語でもあった。篤蔵ロスもさることながら、俊子に会えなくなるのがさびしすぎる……と思っていたら、2016年NHK大河ドラマ「真田丸」に出演が決まった模様。役どころは、堺雅人演じる真田幸村の初恋の女性・梅。いいですねえ、楽しみです。俊子、また会う日まで!
エキレビ!天皇の料理番のあらすじ・レビューまとめ
(島影真奈美)