脚本:渡辺千穂 演出:梛川善郎
125話はこんな話
栄輔の演出する万博のショーに、キアリスが衣裳で参加した。
笑顔を引き出すために
本番までに衣裳の修正がいっぱい。
「数ミリでも直す必要があるんですか」と首をかしげるさくらに
明美「自己満足と思ってる?」
君枝「職業病とか?」
すみれ(ただ笑うだけ)でタイトルバックへーー。
開けて、すみれは、子供達の笑顔を引き出すために、まるで肌の一部のような衣裳を用意したいと答えた。
言葉や理屈じゃなく、カラダ(感覚)に訴えかけるものを大事にするのは「べっぴんさん」が最初から描いてきたところ。
ここのところドタバタと地に足がついてない展開が続いたが、「べっぴんさん」の心はちゃんと続いていた。
125話はそれを感じさせてくれた。
わしらの根っこにはいつもあの闇市の風景があります
前進をおそれる者もいるが、わたしは日本を進歩させたいと言う大手商社KADOSHO の古門(西岡徳馬)に対するように、戦後闇市を牛耳っていた根本(団時朗)が現れて、一気に戦後が蘇る。
梅田の闇市は立派になって、そろそろ引退するという根本に、かみつく玉井(土平ドンペイ)。
そんな玉井に、嗅覚がいい、金の匂いのすることにいつもいると、いなす根本。
ちょっとの出番ながらふたりのキャラクターがちゃんと立ち上る。作家も正直でテーマがしっかりしてるとこは説得力が出るなあと思う。
「いまのニッポンはひとの手から離れていくような・・・なんやろなあ。ただの老いぼれの漠たる不安やろな」と言う根本に、「わしらの根っこにはいつもあの闇市の風景がありますあの闇市の風景があります。
だからこそあせらず一歩一歩歩んでこられたと思ってます」と返す潔(高良健吾)。
彼らが立つのは、万博のショーが終わった跡。紙吹雪がただのゴミのようにたまって、「夏草や兵どもが夢の跡」の句のようだ。それをぐーっと引きで撮る視点がとてもシニカル。
「あんなにものがなくてただ生きることにせいいっぱいやったのにね」とすみれは戦後の自分を思い出す。
こういうエピソードをお説教くさいと思うひともいるかもしれないけれど、1970年、こんにちはこんにちはと笑顔だった子供達は、いま、50代以上か。彼らの足元を想像するとちょっとしんみりする。
そして、根本がそろそろ引退すると言ったこの翌年、71年の4月から団時朗は団次郎の名で「帰ってきたウルトラマン」になるのだった。
(木俣冬)