
記事は、日本では1960~80年代に国産ウイスキー需要が急速に伸びたと紹介。当時のウイスキー生産者たちは利益を上げることよりもウイスキーづくりに対する情熱を製品にぶつけていたとする一方で、情熱が先行したことが却って仇となりブームの終焉とともに続々と閉鎖を余儀なくされていったとした。そして、すでに姿を消して久しい蒸留所で熟成されたウイスキーが現在では芸術品のごとく扱われ、世界的な人気を博しているのだと説明し、珠玉の名品を生み出した今は亡き蒸留所をいくつか取り上げた。
最初に紹介したのは、長野県の軽井沢蒸留所だ。1950年代に生産がはじまり、2000年に生産停止。16年には建物が解体されるに至る一方、蒸留所で生産されたウイスキー「軽井沢」は今や世界で非常に高く評価されていると紹介。13年には1960年物の「軽井沢」が1本200万円で販売されたほか、15年には同じく1960年物の「軽井沢」が香港で91万8750香港ドルという超高値を付け、当時の日本製ウイスキー1本のオークション最高価格を記録したと伝えている。
次に挙げたのは、埼玉県の羽生蒸留所。戦後まもない時期から生産が始まり、2000年に生産がストップした同蒸留所は、04年に設備が完全撤去された際に樽400本に入っていた原酒も捨てられる危機に瀕したと紹介。この原酒を守るべく肥土伊知郎氏が奔走して資金をかき集め、買い取ったのちに会社を設立、「イチローズモルト」として販売しており、しばしば世界のオークション市場にて高値で取り引きされていることを伝えた。