『戦後サブカル年代記――日本人が愛した「終末」と「再生」』(青土社)の著者・円堂都司昭(文芸・音楽評論家)と、『タモリと戦後ニッポン』(講談社現代新書)の著者・近藤正高(ライター)との対談、その後編をお送りする。 前編はこちら。

(2015年10月11日、企画・構成:辻本力)
タモリの存在はなぜ政治的にならないのか
『タモリと戦後ニッポン』近藤正高/講談社現代新書

政治色を帯びないタモリの不思議


円堂 タモリのデタラメ外国語は、中国、韓国、北朝鮮といった国々の言葉をネタにしていたわけですけど、考えてみたら、当時と今とでは政治的な状況がかなり違いますよね。

近藤 距離は近いけど、精神的には遠い国でしたからね。韓国は民主化される前の軍事独裁国家の頃だし、中国は日本と国交が正常化した頃はまだ文化大革命と呼ばれる激しい権力闘争の最中でした。

円堂 そんな時代にあんなネタををやっていたというのは、今から考えるとかなりヤバイ。

近藤 タモリがデタラメな四ヶ国語で麻雀をする「四ヶ国語麻雀」は、ベトナム戦争の休戦をめぐるアメリカ、ベトナム、中国、韓国の力関係がベースにある、とは評論家の平岡正明の見立てです。あと、タモリ初期の密室芸の1つに、中国の国連加盟をネタにしたものもあったらしいですね。71年に国連における中国の代表権が中華民国(台湾)から中華人民共和国へ移るわけですが、その時の中華民国代表の憤りに満ちた脱退演説と、続いて大喜びで登壇した中華人民共和国代表の演説をそれぞれモノマネしてみせたという。
そんなの絶対表に出せるわけない(笑)。
タモリの存在はなぜ政治的にならないのか
近藤正高

――でも、国際情勢的にヤバいネタをやりながらも、タモリは政治性を帯びていなかったような気もするのですが。

円堂 そうですね、戯れてはいるけど、政治色はない。

近藤 『タモリと戦後ニッポン』では、タモリと政治をなんとか結び付けられないものかと思っていたんですが、結局あまり結び付けることができなかった。

円堂 タモリはジャズの人で、60〜70年代といえば、ジャズはカウンターカルチャーとして受け止められていたから、そういう意味ではレアケースですよね。

近藤 タモリが70年代に新宿で仲間とドンチャンやっていた頃は、きっと周りにそういう政治絡みの人たちがいっぱいいたはずなんですけどね。


円堂 そのへんに関しては、村上春樹との対比が面白いかもしれない。春樹もジャズ喫茶のマスターをやるような人でしたけど、やはり90年代のある時期までは、政治的な、カウンターカルチャー的なものからは距離をとっていた。でも春樹の場合、政治的なものから「あえて距離をとっている」というポーズをすることで、「安心してください、考えてますよ」という暗黙の主張にもなっていた。一方、タモリの場合、そういうそぶりすらもまったく見せない。この違いは面白い。

地図を年表に、年表を地図に歴史を追う


円堂 僕らの本は、いずれもタイトルに「戦後」と謳っているわけですが、僕の本は「戦後」と言いつつも、70年代以降が話の中心になっているんですよね。

近藤 確かに。


円堂 これまでの著作にも言えることなんですが、63年生まれの自分がリアリティを感じられる時代に大きく扱う対象を限定しているんです。もちろん、それ以前についても調べて書くけれど、以後の時代ほど重点は置かない。その点、近藤さんはすごい昔のことを掘り下げて書くじゃない? どうやってるのかなというのは気になりますよね。時々、読んでいて「お年寄りが書いているんじゃないか?」と思うもの。

近藤 まだ38歳なんですけどね……(苦笑)。でも、僕も調べ物をする際、自分に関連付けるということはしていますよ。
『タモリと戦後ニッポン』で、タモリのルーツの1つとして満州を取り上げましたが、僕の母方の祖父母も満州にいたことがあって。そういうつながりがあるので、僕にとっても満州は原郷というか……。

円堂 満州が原郷って……。やっぱり38歳は嘘でしょ?(笑)

近藤 まあ原郷は大げさですが、何となく親しみのある地であり、前から興味を持っていたんです。以前書いた『新幹線と日本の半世紀――1億人の新幹線―文化の視点からその歴史を読む』(交通新聞社新書、2010年)にも南満州鉄道(満鉄)の話が出てきますし、さらにタモリの話もちらっと出てくる。あと、『タモリと戦後ニッポン』に登場する森繁久彌は、うちの祖父と誕生日が1日違いなんです。
それが理由で親近感を覚えたりして。

円堂 要するに、自分にとってフックになるものがないと、テーマや素材を引っ張ってこられないということですよね。まあ、書き上がったものからはそうした感じは受けないかもしれないけど、書く間の、自分のなかの実感みたいなものとしてあればいい。

――お2人とも、歴史を掘り下げる著作や文章が多いですが、特にどのへんに面白さを見出しているのでしょうか?

近藤 調べてみると、意外なところで意外なもの同士が結びついている。それを探っていくのが面白いんですよね。それこそ「タモリと満州」みたいに。


円堂 ある視点を定めると、見通せる範囲が決まってくる。その時に見出せる「遠近感」が面白いんです。で、近藤さんの本を読むと、遠近感を見つける興奮がある。『タモリと戦後ニッポン』は、近藤さんの過去の本と比べても、その点がズバ抜けていた。

近藤 おそらく、タモリ、山下洋輔、赤塚不二夫といった「人物」を主役に据えているからじゃないでしょうか。そして、彼らがさまざまな場所で交差する。ある種、小説のような、ストーリーものとして読める面白さがあるのかもしれない。

円堂 その点に関しては、僕の『戦後サブカル年代記』も手法的に近いかもしれない。小松左京、大江健三郎、石原慎太郎、村上春樹など、特定の人物を意識して何度も登場させました。

近藤 あと僕の場合は、その時々で重要な「場所」に着目するという手法をとっています。今回の本では、満州・福岡から始まり、早稲田大学、ボウリング場、新宿へと場所が移り変わっていく。

円堂 なるほど、僕の場合、今回の本では東京を中心にした都市化、「スクラップ&ビルド」による環境変化がテーマの一つでしたけど、特定の場所への注目は希薄ですね。

近藤 昔から空間・場所の歴史に興味があって、自分はそれありきの物書きなんだと思います。最初の著書『私鉄探検』(ソフトバンク新書、2008年)にしても、土地と鉄道との結び付きの本ですから。地図を年表に見立てて、その土地の歴史を掘り下げていく、みたいな。あるいは逆に、年表を地図のようにして見る、とか。同じ年にこの場所とこの場所で、同時にこんな出来事があった――そうした接点を探していく作業が面白くて仕方がない。
タモリの存在はなぜ政治的にならないのか
円堂都司昭

成田闘争とアイドルの歴史、『オペラ座の怪人』論


――今後書いてみたいテーマについて伺えますか。

近藤 成田空港の歴史について何かしら書いてみたいと、ここ10年ぐらい考えてるんですけどね。昔、コミックマーケットで共産“趣味”系のサークルが売っていた成田空港建設反対闘争の記録フィルムのビデオを買って、そこからアイデアが浮かんだんです。78年の3月に予定されていた開港の直前に過激派が管制塔を占拠するんですけど、その時に周辺で活動家がいろいろな工作を仕掛けていた。その1つに、警察無線に電波を送って、当時大人気だったピンク・レディーの曲をのせてしまうという事件があった。

――ピンク・レディー!?

近藤 それをきっかけに、ピンク・レディーと成田闘争の共時性に興味を持ったんです。さらに調べていくと、どうもキャンディーズのファン組織である全キャン連と、成田闘争に参加していた人たちとは重なるところもあるらしい。ほかにも、資料を漁っていたら、解散まぎわのキャンディーズにシンパシーを抱いていたという活動家の証言が出てきたり。そうしたアイドルの歴史と政治活動の動向みたいなものを併せて論じる本を書いてみたいです。

円堂 それは、もともと「成田と浦安」をテーマにした、僕との共著を企画して話を練っていたんですよね。僕は浦安の土地の歴史を担当するはずだった。浦安には「東京ディズニーランド」があり、成田国際空港も以前は「新東京国際空港」という名称だったという共通点が、2つの場所にはある。で、近藤さんが企画に付けた仮タイトルが「千葉なのに東京と呼ばれて」(笑)。

近藤 結局その本の企画は実現しませんでしたが、円堂さんはのちに単著として浦安の本(『ディズニーの隣の風景』。原書房)を書かれたんですよね。いま温めているテーマはありますか?

円堂 『オペラ座の怪人』論をやりたいですね。

近藤 ミュージカルの?

円堂 ミュージカルに限らず、ガストン・ルルーの原作を含めて、です。原作はけっこうまどろっこしくて矛盾に満ちた、決して出来がいいとは言えないものなんですけど、ホラーやラブロマンスとして何度も映画や舞台になっている。1番よく知られているのは劇団四季でやっている、ロイド・ウェバー版ですが、それ以外にもケン・ラッセル版がある。さらに、『ファントム』という、かなりアレンジした二次創作みたいな別バージョンもある。

近藤 あ、『ファントム』ってそういう位置づけの作品だったのですね、知らなかった。

円堂 『オペラ座の怪人』のバリエーションを追うことで、「音楽と人」についても語れるし、『美女と野獣』みたいな、いわゆる異形のものとのラブロマンスという、ミュージカルの1つの王道パターンを論じることもできる。今まで年代記的な、時代の変遷を辿るような本が多かったので、今度は作品論を中心に、そのバリエーションを語る本を書きたいですね。

――そのタイプの物語といえば、ミュージカルにもなっているヴィクトル・ユーゴーの『ノートルダム・ド・パリ』とか、最近だと映画『シュレック』とか、枚挙にいとまがないですね。でも、そのバリエーションを追っていくと、結局は年代記的な話になりません?

円堂 参ったな、確かにそうだ。もう習い性みたいなものだから、結局そこから離れられないのかもしれない……(苦笑)。
(辻本力)

円堂都司昭(えんどう・としあき)
1963年生まれ。文芸・音楽評論家。主な著書に『ゼロ年代の論点』、『エンタメ小説進化論』、『ディズニーの隣の風景』、『ソーシャル化する音楽』、『戦後サブカル年代記』など。現在、「本の雑誌」、「ミステリマガジン」、「小説宝石」などで書評を執筆中。

近藤正高(こんどう・まさたか)
1976年愛知県生まれ。ライター。雑誌やウェブ媒体で昭和史から最近のアイドルについてまで幅広く執筆。近著『タモリと戦後ニッポン』(講談社現代新書)は各方面で話題に。最近では11月発売予定のムック『文藝春秋オピニオン 2016年の論点100』に編集協力している。