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原作 島本理生(「ナラタージュ」角川文庫刊)
監督 行定勲
出演 松本潤 有村架純 坂口健太郎ほか
10月7日公開
───「ナラタージュ」は、大人の恋愛映画ということですが、若い観客は狙ってないのですか?
小川 島本理生さんの原作小説をリアルタイムで読んでいた人たちも、おおむね、30代以上になっていますから。ただ、10代でも一定数の方がこの作品にハマると思います。
───若者が観る低予算の恋愛ものよりも、予算は多かったんですか。
小川 今回、それなりの(といっても普通の)予算が確保できてよかったです。なんといっても、富山でロケができてよかった。この映画は、地方ロケじゃないと成立しないと思っていましたから。都内近郊ではスケール感がでないし、ファンタジーというかどこか別の世界の出来事のような感じにならない。懐古的な回想に乗った少しドロドロとした内容なのでファンタジー感でオブラートに包んで、映画としてのフィクション度を上げていかないとなりません。例えば、最後のシーンで、原作とは違うのですが、市電が走っているのが効果的だったりとか。忙しい松本潤くんが撮影後、すぐに新幹線で帰れる場所、という点においても、富山は最適でした(笑)。

───松本さんのスケジュールを加味してのロケ地。
小川 ちょうど高岡が行きやすくなっていて。実際、行ってみたら、いい塩梅に昭和感が残っているんです。ほぼほぼ高岡で撮って、あとは、射水市や富山市で撮りました。
───小川さんは、村上春樹の映画化「ノルウェイの森」「10年」など、常に冒険しています。とりわけ、「ピンポン」(02年)は漫画の実写化のさきがけだったと思います。
小川 いまはもう違いますけれど、当時のアスミック・エースはまだインデペンデント色が強い会社で、メジャーなところといかに勝負するか、そのために冒険することが最初の頃からのテーマで、「トレインスポティング」(96年)などをもそうですけど、新人監督を起用したりする風土でした。だからずっと監督や俳優も、いいと思った人を先物買いしてたんですね。「ピンポン」も、「トレスポ」の成功体験によってできたものです。「ナラタージュ」も10年近く行定さんが抱えながら、なかなか実現しない企画で、最終的に僕のところに来たものですが、「ピンポン」も他でボツになった企画を、アスミックが引き受けたんですよ。当時、映画の世界ではまだそんなに使っていなかったCGをふんだんに使って、卓球のシーンを再現することが画期的だったんですが、僕は、映画やる前にテレビゲームを作っていた経験があったのでCGには馴染みがあったんですね。
───ゲーム業界にいらしたんですか。
小川 ええ、90年代は、スーパー・ファミコンからプレイステーションまで何本かのプロデュースをやっていました。いちばん売れたのは、『ドカポン3・2・1 〜嵐を呼ぶ友情』というボードゲームで、あと『レナス古代機械の記憶』。この頃のゲームビジネスは全盛期。儲かりましたねえ(笑)。
───そのノウハウをもって、映画制作に。
小川 CGがちょうどガッと伸びていく時代でした。TBS でCGをやっていた曽利文彦さんを監督に起用して、卓球シーンをCGでやることと、「トレスポ」を意識して、音楽を沢山使ってポスタービジュアルもこだわり、当時ミニシアター系の最高峰だった渋谷のシネマライズにかかっているような映画のイメージを狙いました。窪塚洋介くんや、ARATA(現、井浦新)くんをキャスティングしたのも、その一端です。
───あの頃、渋谷は盛り上がっていました。「ジョゼと虎と魚たち」(03年)にも行列ができていました。
小川 あれはシネクイントでしたね。渋谷も、いまは変わってしまいましたねえ・・・。
───例えば、大根仁監督がいまやっていることのさきがけと考えていいのでしょうか。
小川 まあそうでしょうねえ、「ピンポン」がいろんなことを変えたと思います。映画業界も、アスミックも変わりました。
───小川さんは近年独立されましたが、そのわけは?
小川 90年代から2000年代のはじめは、制作資金の半分以上をパッケージで回収していたからこそ、企画に多様性があったわけですよね。パッケージがそこそこ売れるなら、やってみよっていう実験精神で。だから、新人監督もデビューしやすかった。それがゼロ年代後半になって、「ハチミツとクローバー」の公開後くらいから、どんどんビデオ・マーケットがシュリンクしていって、劇場で回収しないと元がとれないようになった。そうするとやっぱり製作資金を提供する側がコンサバティブになり、メジャーなわかりやすい企画しか通らなくなって、企画の自由度がなくなってきたことが大きいです。会社にいるメリットはあるのですが、それ以上に自由が欲しかったんです。それで、アスミックがJCOMに売却されるタイミングで辞めました。
───小回りが利くものを作りたかったんですか。
小川 「トイレのピエタ」などは、今のアスミックでは作れないけれど、フリーになったいまなら、「ナラタージュ」のような大作も、「トイレのピエタ」みたいな無名の新人監督のオリジナル作品もできるわけです。
───杉咲花ちゃんも、朝ドラ「とと姉ちゃん」(16年)に出る前ですよね。
小川 僕はいつもちょっとだけ早いんです。早過ぎるともいえますが(笑)。いま、公開したらもっと入っているだろうと思われる作品はたくさんあります。たとえば、櫻井翔さん主演で『ハチミツとクローバー』を作った当時は、まだそこまで嵐の人気はなかったし、共演の蒼井優さんや加瀬亮くんも、いまや主役クラスです。堺雅人さんにいたっては予告編に名前すら出てなかった(笑)。
───難しい作品を成立させるには、何が大切と思いますか?
小川 うーん、なんでしょうね、根気がないとダメでしょうね。あと、ある程度の客観性。「ナラタージュ」だったら、これはメジャーな映画にしたほうがいい、それには松本潤を引っ張ってこないといけないっていうような、市場性を含めて判断する力でしょうか。
───市場性を加味したパッケージを大切にするという点で、「のぼうの城」(12年)の、犬童一心さんと樋口真嗣さんのW監督というのも面白かったですね。
小川 あれは、ちょうど僕が大学生のとき、ジョージ・ルーカスとスピルバーグが「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」(81年)を作ったことに衝撃を受けたので、そういう仕掛けをすることで大作時代劇を成立させようと考えました。
───ルーカスとスピルバーグ、みたいなキーワードが大事ですね。「ナラタージュ」のキャッチーなワードはなんでしょう?
小川 「松本潤が脱ぐ。」(笑)
───え、それですか?
小川 シンプルなのがいいんですよ。「松本潤がメガネかけている。」とか。
───ははは(笑)
小川 映画は予告編が面白くなるかどうかも大切なので、シャワーシーンがあるとか土下座シーンがあることは。やっぱりシャワーシーンが肝でしたね。映画は基本、娯楽ですから。
───割り切っていらっしゃいますね。
小川 それが楽しさじゃないですかねえ。もっさりした松本潤が、最後、メガネを外してハダカになって、松本潤になる。「ナラタージュ」はそういう話です。最後、盛り上がらないと、映画ってつまらないじゃないですか。最後に盛り上がれば、お客さんは満足して帰ることができる。

【プロフィール】
1963年生まれ。アスミック・エース入社後、ゲーム開発を経て、2000年、「リング 0~バースディ」で映画プロデューサーとしてデビュー。以降、「ピンホン」(02)、「ジョゼと虎と魚たち」(03)、「恋の門」(04)、「ハチミツとクローバー」(06)、「ノルウェイの森」(10)などを制作。12年独立し、ブリッジヘッドを設立、「陽だまりの彼女」(13)、「味園ユニバース」(15)、「トイレのピエタ」(15)、「ピンクとグレー」(16)、「秘密 TOP SECRET」(16)などを手がける。「ナラタージュ」のほか「リバーズ・エッジ」の公開を控える。
【作品データ】
ナラタージュ
原作 島本理生(「ナラタージュ」角川文庫刊)
監督 行定勲
出演 松本潤 有村架純 坂口健太郎ほか
10月7日公開
STORY
春、大学2年生になった工藤泉(有村架純)の元に、高校時代、演劇部の顧問だった葉山(松本潤)から電話がかかってきた。葉山は、孤独な泉に居場所を与え、救ってくれた教師だった。互いの孤独を埋めるように惹かれ合ったふたりだったが、葉山には離婚が成立していない妻がいたのだ。泉は、葉山と距離を置き、彼女を想ってくれる小野(坂口健太郎)とつきあうことにするが・・・。
(木俣冬)