馬トク報知で過去の名勝負を当時の記事から振り返る【競走伝】。日本ダービーは特別編で、武豊騎手=栗東・フリー=のダービー6勝を【ダービー武豊伝】として取り上げる取り上げる。

第2回は1999年のアドマイヤベガ。ゆかりの良血馬と史上初の連覇を達成した。

 快晴の青空へ、ユタカが力強くこぶしを突き上げた。割れんばかりの拍手が全身に降り注ぐ。心地いい。最高だ。史上初の日本ダービー連覇。またしても、武豊が誰もなし得なかった快挙を達成した。

 静かに燃えていた。6着に沈んだ屈辱の皐月賞から1か月半。自らのエスコートで1993年に牝馬2冠を成し遂げたベガの子供になる、アドマイヤベガのことを常に考え続けていた。「デビュー前から、この馬でダービーを勝ちたいと思っていた。

本当に夢のような話です。去年もうれしかったが、今年もうれしい」。

 昨年はスペシャルウィークで5馬身差の圧勝だったが、今年は状況が違っていた。皐月賞が順調さを欠いた惨敗。自信満々というわけにはいかなかった。それでもユタカは力を信じて、手綱を執った。

 道中は後方待機。テイエムオペラオー、ナリタトップロードを前に見ながら直線へ。「ずっと外を振り回されるのは嫌だったので…。外へスムーズに出せました」。頭で描いていた通り、コースロスなく4コーナーを回ると、ライバルを射程圏にとらえた。

 直線の叩き合い。

坂を上ったところで、アドマイヤベガの末脚がうなりを上げた。左ムチにこたえて、ナリタトップロードを追い詰めていく。最後は首差きっちりと差し切った。「状態は良くはなっていたが、ビシビシと鍛えて、臨んだわけではないので…。最後まで分からなかった」と振り返ったが、コース取りや追い出しのタイミングは、名手ならではの手綱さばきだった。

 胸には近藤利一オーナーから渡されたお守りがあった。「レースでつけたのは初めて。橋田調教師の馬でダービーを勝てたことがうれしい」。昨秋の天皇賞で騎乗した橋田調教師の管理馬サイレンススズカは、レース中に骨折、安楽死の処置を受けた。スズカの分も…。そんな執念も込められていた。

 2着に敗れたナリタロップロードの渡辺はレース後に涙を見せた。

それを聞いたユタカは「ダービーはそういうレースなんです。僕も何度も悔しい思いをしましたから」とつぶやいた。前人未踏のダービー連覇。様々な経験から、偉業は生まれた。

 GⅠは29勝目。岡部を抜いて、堂々のトップに躍り出た。まさにユタカの時代。「アドマイヤベガと王道を歩んでいきたいですね」。ハイレベルな戦いを制し、歴史を塗り替えた男はきっぱりと言った。

〈ノーザンファーム吉田勝己代表も歓喜〉

 アドマイヤベガを生産したのは北海道・早来のノーザンファーム。「乗り味が良く、バネのある子でした。同期の中でも飛び抜けて良かったわけではないのに…。

それだけ日本のレベルが上がっているということ」と吉田勝己代表は喜んだ。母ベガは5月上旬にティンバーカントリーの牡馬(のちにG1級競走を7勝したアドマイヤドン)を生んだばかり。また、3歳の全弟アドマイヤボス(セントライト記念勝ち)は近藤オーナー、橋田厩舎所属で兄と同じ。武豊の3連覇も夢ではない。

〈1999年の日本ダービー〉

 アドマイヤベガと皐月賞1着のテイエムオペラオー、重賞2勝のナリタトップロードが「3強」と呼ばれていた。直線では中団から早めに動いたテイエムに、後方からアドマイヤとナリタが襲いかかり、最後はアドマイヤがねじ伏せた。秋の菊花賞はナリタが制し、この年の3冠は「3強」が分け合うことになった。

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