◆記憶の中の都市ナント淡々と
シュールレアリスムの作家と若干の接点を持っていたとはいえ、いかなる文学流派にも属さず、フランスの名誉ある文学賞も辞退したことのあるジュリアン・グラックは、私にとってはすでに文学史の中の人だった。恥ずべきことだが、彼が生きて、生家に暮らし、散歩と読書と執筆の日々を送っていることさえ、知らなかった。
本書は、一九八五年にグラックが上梓したものの全訳だが、ナントという町でグラックが過ごした数年を元に、ナントが生き直される。いや、グラックの言うところによれば、町が人を生かすのであり、そこには相互作用がある。だがグラックはただナントという町をまるで肖像を描くように浮かび上がらせるのではない。記憶の中の都市を、何かいとおしむような筆ぶりで淡々と描き出す。
地形と地図と地名が、現実の都市と、記憶の中の都市との間で呼び交わされ、静かに呼吸する。無数の文学作品が縦横に引用される。読むのが惜しくなるくらい、贅沢な時間を経験した。本当に久しぶりだ。大変だったに違いない訳業にも感謝。注も丁寧で〇。
【書き手】
陣野 俊史
1961年長崎生まれ。文芸評論家、フランス文学者。ロック、ラップなどの音楽・文化論、現代日本文学をめぐる批評活動を行う。最新作に『戦争へ、文学へ 「その後」の戦争小説論』(集英社)。その他の著書に『フランス暴動 - 移民法とラップ・フランセ』『じゃがたら』(共に河出書房新社)、『フットボール・エクスプロージョン』(白水社)、『フットボール都市論』(青土社)など。
【初出メディア】
日本経済新聞 2005年1月6日
【書誌情報】
ひとつの町のかたち著者:ジュリアン・グラック
翻訳:永井 敦子
出版社:書肆心水
装丁:単行本(283ページ)
発売日:2004-11-01
ISBN-10:4902854015
ISBN-13:978-4902854015