2026年4月15日、中国のポータルサイト・捜狐に月刊漫画誌「コロコロコミック」に再掲載されていた「ドラえもん」が最終回を迎えたと紹介する記事が掲載された。

記事は、「月刊漫画誌『コロコロコミック』に再掲載されていた『ドラえもん』が最終回を迎え、多くの人がすでに完結していたのではないかと思ったことだろう。

確かに原作は、作者である藤子・F・不二雄氏の逝去によって、すでに『完成された作品』となっていたが、同誌の創刊25周年である02年から過去の作品の再掲載が始まっていたのだ」と説明した。

そして、「新しいエピソードはなく、続編でもなく、作画すら変更されていない。それでも『紙の上のドラえもん』を存続させることの意義は大きかった。日本において、毎月雑誌を開き、見慣れたキャラクターに出会うことは、日常の一部である。この再掲載は、それを20年以上にわたって維持してきた。多くの小学生が1年生から大学卒業まで読み続けても、なお掲載が続いていたのだ」と言及した。

また、「今回の最終回には、てんとう虫コミックス第31巻収録の名作エピソード『時門で長~~い一日』が選ばれた。このエピソードの選択は実に巧妙である。
同作の内容は作中の時間が引き延ばされ、1日が異様に長く感じられるというものだ。しかし現実では、その連載がいつの間にか20年以上を経て終わっていた。子どもの頃は時間が遅く感じられたが、振り返ればあっという間に過ぎ去っている。まるで私たちの人生のようだ」と述べた。

その上で、「とはいえ『ドラえもん』がこれで終わったわけではない。現在もテレビアニメは継続的に放送され、劇場版も毎年公開されており、興行成績も安定している。多くの作品は連載が止まれば急速に人気が衰えるが、『ドラえもん』はすでに『文化の基盤』として定着している。これは作品が物語によって生きているのではなく、そこに存在していること自体に価値があるからだ」と論じた。

記事は、「では、この再掲載終了はどのような影響を持つのか。結論として、これは紙媒体の時代が徐々に終わりつつあるということである。今や『ドラえもん』の漫画を読む手段は単行本を買うか電子版を探すかのほぼ二択だが、これは想像以上に大きな変化である。なぜなら連載とは日常的な接触と継続的な露出を意味し、新規読者の入口でもあるからだ。それが失われることで、作品は『現在進行形のもの』ではなく『すでに存在しているもの』へとなる。かつては、放課後に自然と目にしていた作品が、今では意識的に探さなければ触れられない存在となってしまった」と述べた。

そして、「多くの人は『名作は色あせない』と言うが、正確には『名作は消えないが、周縁化されていく』のである。『ドラえもん』は今まさにその段階にある。

消えることはないが、かつてのように『どこにでもあるもの』ではなくなったのだ」とし、「ところで、最後に『ドラえもん』を見たのはいつだっただろうか。今の子どもたちに、この作品を薦めるだろうか。それとも、すでに『私たちの世代だけのもの』になってしまったのだろうか」と問い掛けた。

なお、中国のネットユーザーは、今回の再掲載終了に対し、「時代の涙だね…」「ドラえもんって本当に面白いよね。ずっと大好き!」「自分の子どもの頃の思い出が、少しずつ遠ざかっていく感じがする…」「だったら別の方向もありじゃない?例えばドラミちゃんのスピンオフとか、妹の物語を単独で見てみたい」などとコメントしている。(翻訳・編集/岩田)

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