2026年5月23日、中国のSNS・小紅書(RED)に「なぜ初期の『名探偵コナン』には淡い哀愁が漂っていたのか」と題した投稿があり、中国のネットユーザーの反響を呼んでいる。
投稿者はまず、「昭和、ネオン、自動車、レストラン、カラオケ、宴会、あたたかな光の中に広がる色彩のきらめき。
そして、「初期の『名探偵コナン』には特有の悲しみと後悔が宿っている。本来ならこんなことは起こらなかったはずだった。被害者も救えたはずだった。犯人も、犯人にならずに済んだはずだった。だが結局、犯人は野放しとなり、親しい者は死に、桜は変わらず散り続け、山寺の滝も崖を流れ落ちる。後悔だけは、時間の中で癒えることなく、あの雨の夜に永遠に取り残されたままなのだ」と述べた。
続けて、「初期の『名探偵コナン』は、とりわけ『雨』を好んで描いていた。雨の夜、真っ直ぐに降り落ちる雨粒、人気のない街路、人々が去った後の静寂、電話ボックスに灯る薄暗い光、壁にもたれて煙草に火をつける人、顔見知り同士の何気ない会話。
そして、「『もしあの事件がなければ…』との言葉に探偵は、過去とつながっていた殺人事件なのだと気づき始める。それは復讐であり、誤解であり、忘れられない苦しみであり、後悔を抱えたまま生き続ける人間の物語である。多くの事件には、真の『悪人』は存在しない。ただ運命によって奈落へ追いやられた人間がいるだけなのだ」と論じた。
さらに、「雪山山荘殺人事件は、初期の『名探偵コナン』の持つ冷たくも魅力的な空気感を象徴している。吹雪、立ち往生した車、消えたエンジン、閉じ込められた人々、山荘や別荘。古い品々や伝説、土地に伝わる禁忌によって、すべてが次第に怪談じみた色を帯びていく。雪の中を歩く武士の甲冑(かっちゅう)、冷たい光を放つ刃、人魚伝説、蜘蛛の巣のような束縛、闇に現れる怪しい影と異音、人を禁域へ近づけないために作り出された幽霊や幻影。その恐怖の裏側に隠されているのは、利益、取引、裏切り、欲望といった極めて現実的な人間性だ」とした。
その上で、「漆黒の海に差し込む月光、留守番電話に残された遺言、燃え盛る炎、崩れ落ちる洞窟、『月光』のピアノ曲にいつまでも消え去らない想いが漂っている。夜が明けると、まるで全てが波とともに遠ざかっていくかのように海風は再び帆を膨らませる。
この投稿に中国のネットユーザーからは、「初期の『名探偵コナン』の江戸川(えどがわ)コナンって、子どもの体の中に大人の魂が閉じ込められていて、どうにか抜け出したいのにどうにもならない…みたいな感じがあった。でも今のコナンはどんどん『子どもとしての自分』になじんでいってる気がする」「ほんとそれ。もう『何がなんでも元に戻る』っていう執念みたいなのは感じられなくなった」などと、主人公像の変化を指摘するコメントが寄せられた。
また、「特に01年以前の『名探偵コナン』が大好き。あの頃特有の美しさや時代の空気感があって、つい何度も見返したくなるし、昔を懐かしく思い出す」「昔の『名探偵コナン』には、独特の哀しさや重苦しさがあった。孤独な『銀の弾丸』が、正体もつかめない巨大な組織にたった1人で立ち向かっていく。生きるか死ぬかも分からず、未来も見えない。そんな悲壮感が本当に魅力的だった。でも今はもう当時の空気は残っていない」との、初期シリーズを懐かしむコメントもあった。
さらに、「ピアノソナタ『月光』殺人事件は後からリメイク版も出たけど、リメーク後の作画は昔のものとは比べものにならなかった」「最初はとにかく作画がかっこよくてハマったんだよね。当時は昼休みに再放送してて、その短い時間でも絶対に見てた。
そのほか、「今のアニメは全体的に『惰性』で作られてる感じがしてしまう。続編を出し続けているのも、結局は稼げる作品を手放したくないからなんだろうなって。劇場版はまだ少しマシだけど、どうしても商業作品っぽさは強い」との商業化を批判するコメントも寄せられた。(翻訳・編集/岩田)











