5月13日、ドナルド・トランプ米大統領が北京に到着した。テスラのイーロン・マスク氏、アップルのティム・クック氏、エヌビディアのジェンスン・フアン氏ら、米ビジネス界を代表する企業トップが同行したと報じられている。

そうそうたる顔ぶれを伴っての訪中である。

この意味が示すものは明白だ。米国は中国と競争し、対立し、時に圧力をかける。しかし、それでも中国との対話の扉は閉ざさない。イデオロギーではなく実利を見据え、対立の中にも交渉の余地を残す。それが大国外交の現実である。

では、その光景を最も複雑な思いで見つめている国はどこか。恐らく日本である。

トランプ氏の訪中直前である5月12日、来日したベッセント米財務長官は、高市早苗首相をはじめ、日本の関係閣僚らと相次いで会談した。報道によれば、日本側はトランプ政権の対中政策の方向性を見極めるとともに、中米間の大きな「ディール(経済取引)」によって日本にも関わる安全保障上の懸念が置き去りにされないよう、米側との認識共有を図ったという。いわゆるジャパン・パッシングへの警戒とも受け取れる動きだ。

だが、問題は米国が日本を置き去りにするかどうかだけではない。

本質にあるのは、日本が自ら中国と向き合う外交チャンネルを十分に築かず、それによって米国の対中政策の変化に左右され続けていることだ。表向きには対中強硬の姿勢を崩さず、安全保障上の危機を語り、防衛費の増額や陣営の結束を叫ぶ。しかし、最大の同盟国である米国が実利を求めて北京へ向かうと、日本はその行方を見極めることに追われる。そこに見えるのは強さではない。自前の対話力を欠いた外交の空白である。

そしていま、日本が抱える問題は外交上の受動性だけではない。国際情勢の揺らぎは、国民生活を支えるサプライチェーンの脆弱さも浮かび上がらせている。

その変化は、意外なほど身近な場所に現れている。スナック菓子大手・カルビーは、インクに使うナフサ由来の溶剤について「今後の調達に不安を感じている」として、5月下旬から一部ポテトチップス商品の鮮やかなパッケージを「白黒」へ変更すると発表した。日清製粉ウェルナも、結束タイプの「マ・マー スパゲティ」などに使用している、印刷入り結束テープを無地のものに切り替えるという。

もちろん、ポテトチップスやパスタの包装変更を、対中強硬論の結果と見るのは短絡的だ。だが、国際情勢の揺らぎが食品包装の色や日用品の供給にまで及ぶ時代に、安全保障を軍事と同盟の言葉だけで語ることもまた、あまりに短絡的である。

政治が強硬な言葉を重ねる間に、国民生活の足元では、商品の色彩さえ失われつつある。

ここに、日本外交が抱える問題が表れている。日本は、米国との同盟を外交の基軸に置き、対中強硬の姿勢を示すことが、安全保障であるかのように語ってきた。しかし現実の安全保障とは、軍事だけではない。エネルギー、食料、物流、産業基盤、住宅、そして日々の暮らしの安定こそ、国家の根幹を支える安全保障である。近隣の経済大国である中国との安定的な関係を築かず、米国の対中政策に合わせて揺れ動くだけでは、国民生活を守る外交とは言えない。

中米関係を見れば、そのことは明らかだ。米国は中国と激しく競争しながらも、北京で直接対話に臨んでいる。米国企業トップの同行は、中国市場とグローバル・サプライチェーンが、今なお米国経済にとって無視できない存在であることを示している。北京大学の賈慶国教授も、中米という二つの大国が協力を強化することは、グローバルな課題の管理と解決に重要な意味を持つとの見方を示している。対立を抱えながらも、必要な対話を行い、実利を取りに行く。それが米国の選んだ現実的な外交である。

それにもかかわらず、日本だけが冷戦型の不信感にとらわれ、近隣国との対話を軽視し続けるなら、それは戦略ではなく思考停止であり、自虐的な外交的機能不全と言わざるを得ない。

日本が恐れるべきは、中米対話によって「置き去り」にされることではない。むしろ、自ら中国と向き合うチャンネルを持たないまま、強硬な言葉だけで外交を語り続けてしまうことだ。日本が守るべきは、陣営対立にしがみつく政治的な体面ではなく、彩り豊かな国民の暮らしであるはずだ。

米国は北京へ向かった。では、日本はどこへ向かうのか。

中米が対立しながらも対話するなら、日本もまた、対立を叫ぶだけでなく、対話によって国民生活を守る外交へと転じるべきだ。自ら考え、交渉する力を失ったまま、国民の暮らしの色彩まで失ってはならない。(提供/CGTN Japanese)

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