5月半ば、米国のトランプ大統領が中国を訪問し、習近平国家主席との首脳会談に臨んだ。報道によると、トランプ氏は会談終了後、米中両国を「G2」と呼び、世界で最も有力な2カ国による歴史的なサミットだったと自賛したという。
トランプ氏「二つの偉大な国」
テレビ朝日によると、首脳会談後の米メディアのインタビューで、トランプ氏は「素晴らしい訪問だった。数多くの成果がここから生まれた」としたうえで、「非常に歴史的なサミットだと思う。二つの偉大な国によるものだ。私はこれをG2と呼んでいる。かつてG7やG8があったが、今はG2だ」と語った。アメリカと中国の2極体制が現在の世界を仕切っていると言いたいのだろう。
トランプ氏が米中両国をG2と呼んだのは今回が初めてではない。昨年10月の首脳会談後にもこの表現を使い、波紋を呼んだ。国際機関や多国間取り決めを嫌い、大国主導の世界秩序を好むトランプ氏にとっては、お気に入りのワードのようだ。
現在の世界で、アメリカと中国の国力が突出しているのは事実だ。
誇らしげな外務官僚
しかし、私はG2という言葉を聞くと、まったく別の情景を思い出してしまう。30年余り前、日本の外務官僚が記者団の前で「いまや日本とアメリカは、G2とも言える存在になった」と誇らしげに語ったときの表情だ。
個人的な思い出話で恐縮だが、1993年から95年にかけて、経済記者だった私は外務省や経産省を中心に通商問題の取材を担当していた。いくつかの交渉マターの中でも、当時世界1位と2位の経済大国が市場開放などをめぐり真っ向からぶつかった日米包括経済協議は、世界的な関心を集めていたと記憶している。日米G2発言は、そうした交渉の背景説明の中で、日米交渉の行方が世界経済を大きく左右するという趣旨で外務官僚が口にしたものだ。
この当時、他の日本側関係者からも同様の発言を聞いたが、米側が日米両国をG2と呼んでいたかは分からない。日本側だけの、背伸びした自画自賛的な表現だったかもしれない。ただ、1991年にソ連が崩壊し、中国がまだまだテイクオフする前のこの時代、経済だけとはいえアメリカに対抗できる存在と言えば日本だけだった。その意味で、外務官僚がこの言葉を使った気持ちは分からないでもない。
一人ひとりの生活を豊かに
あれから30年余り。現在、日本のGDPは世界4位に後退し、日米G2など遠い幻と化した。なぜ中国にその座を譲ってしまったのか、と問えば、中国の人から「もともと古代から近世に至るまで、ほとんどの時代で中国は世界最大の経済大国だった。19世紀後半から20世紀にかけて低迷したのは事実だが、現状はあるべき姿に戻っただけ」と言われそうだ。確かに、日本の10倍の人口を抱え、古くからアジアの文明をリードしてきた中国が本来の力を発揮すれば、経済力で日本を上回るのは自然の成り行きかもしれない。
とはいえ、いわゆる「失われた30年(間もなく40年?)」がなければ、日本と中国の経済力格差は、今ほどは大きくなっていなかっただろう。また、今世紀初めには経済規模が日本の半分に過ぎなかったドイツに抜かれることもなかっただろう。日本経済の相対的な地位低下は避けられなかったとはいえ、そのテンポをもう少し緩やかにすることはできたはずだ。
以前にも当欄で指摘したが、この30年余りの日本経済の低迷は(1)バブルが発生し、それをうまく軟着陸させられずに過剰な債務や設備が残ったこと(2)バブルに懲りた日本企業が賃上げや国内への投資を手控え、海外への投資に注力したこと―が主な理由と考えている。政府・日銀の経済政策の失敗が最大の理由だが、自社のためにプラスと考えて大手企業が採用した経営方針が、合成の誤謬で日本全体の弱体化を招いたとも言える。そして、それらの問題点を的確に指摘できなかったメディアの責任も大きい。
日本は国全体のGDPで後退しただけでなく、2000年には世界3位だった1人当たりGDPでも、アベノミクス以降の円安政策もあって昨年は38位まで順位を落とした。「貧すれば鈍す」ではないが、社会全体に余裕や寛容さが失われているように感じるのは私だけだろうか。日米G2の再現はもちろん、既に4倍以上に開いた中国との経済力格差を大きく縮めるのは難しいとしても、国民一人ひとりが今より豊かに、余裕をもって生活を送れるようにすることは可能なはずだ。政府と経済界には、そうした政策と企業行動を期待したい。











