東京六大学野球春季リーグ戦最終週の早慶2回戦は31日、天皇陛下が神宮球場に来場される中で開催される。昨年創設100周年を迎えた同リーグでは、1994年春の早慶戦を当時の天皇、皇后両陛下(現上皇、上皇后両陛下)が観戦して以来、32年ぶりの天覧試合となる。

慶大は勝てば5季ぶり41度目のVを、全5校から勝ち点を奪う「完全優勝」で決める。

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 早慶戦が天覧試合となったのは過去3度。最初の1929年11月1日は、リーグ戦ではなく、今の「国スポ」の源流となる「明治神宮国民体育大会」だった。この秋のリーグ戦は早大が優勝、慶大が2位だったが、試合は8回日没コールドで慶大が12-0で大勝している。

 興味深いのは両校の出場選手だ。慶大・腰本寿監督と早大・市岡忠男監督を筆頭に、この試合からは計8名が野球殿堂入りしている。

 腰本監督は現在に連なる慶応野球のカラーを作った人物。1894年、ハワイ生まれの日系人だ。大学時代の1916年には慶応普通部の監督として、第2回全国中等学校優勝野球大会に出場。見事に全国制覇を成し遂げた。現在の、夏の甲子園大会に連なる同大会で初めて継投策を用いたとされる。上下関係は厳しくなく、リベラルな明るいチームカラーだったと伝えられている。

 2023年夏の甲子園、森林貴彦監督率いる慶応高の日本一が「107年ぶり」と銘打たれたのは、この時以来という意味だ。

 腰本監督は慶大監督として在任10年16シーズン中、7度のリーグ優勝を達成する黄金時代を築いた。1928年秋には東京六大学で初の全勝優勝。名監督として殿堂入りしている。

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 リーグ戦における初の天覧試合は1950年11月6日、東京六大学野球秋季リーグ戦・早慶2回戦だ。この時は早大が1-0で慶大を下した。

 特筆すべきは早大の「8番・遊撃」に、後にヤクルトや西武の監督として3度の日本一に導いた名手・広岡達朗内野手が名を連ねていることだ。

 東京六大学野球の生き字引である福田修也氏(慶応高軟式野球部前監督)は、「広岡さんは、長嶋茂雄さんがサヨナラ本塁打を放った1959年6月25日の後楽園球場での天覧試合・巨人―阪神戦にも出場しているんです。つまり、大学とプロの両方で天覧試合を経験されたということ。これは物凄い巡り合わせと言っていいでしょう」と驚きを口にした。

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 平成では、1994年5月29日、東京六大学野球春季リーグ戦・早慶2回戦を当時の天皇、皇后両陛下(現上皇、上皇后両陛下)が観戦した。4万6000人の大観衆が集結する中、慶大のルーキー・高橋由伸(スポーツ報知評論家)が「5番・三塁」でスタメン出場。

慶大打線が早大の先発・織田淳哉(巨人アマチュアスカウトチーフ)を攻略し、5―2で勝った。

 福田氏は「過去に天覧試合となった早慶戦では、計3試合に出場した監督、選手のうち、実に12名が野球殿堂入りしています」と明かした。令和初の天覧試合。その貴重な経験を糧にして、新たな野球界のリーダーとなるべき人物が出てくることも、楽しみにしたい。(編集委員・加藤弘士)

■1929年(昭和4年)11月1日 明治神宮国民体育大会

慶大12-0早大(8回日没コールド)

【慶大】腰本寿監督※

(中)楠見

(右)梶上

 右 堀

(一)山下※

(投)宮武※

(三)水原※

(二)三谷

(左)町田

(捕)岡田

(遊)加藤

【早大】市岡忠男監督※

(右)水原

(中)矢島

(捕)伊丹※

(三)森※

(二)水上

(左)佐藤

(一)西村

代打 杉田屋

(投)小川※

 投 松木

 投 多勢

代打 伊達※

(遊)富永

■1950年(昭和25年)11月6日 東京六大学秋季リーグ早慶2回戦

早大1-0慶大

【慶大】阪井盛一監督

(右)井生

(三)宇田川

(遊)松本

(中)山村

(捕)種田

(二)高見

(投)平古場

代走 加藤

(一)梅垣

(左)篠原

【早大】森茂雄監督※

(二)島田

(一)山本

(左)荒川宗

(右)石井※

(捕)宮原

(中)岩本

(投)末吉

(遊)広岡※

(三)小森

■1994年(平成6年)5月29日 東京六大学春季リーグ早慶2回戦

慶大5-2早大

【慶大】後藤寿彦監督

(中)中村

(二)根岸

(捕)高木

(左)丸山

(三)高橋由

(右)飯端

代打 石橋

 右 勝野

(三)久玉

(遊)大川

(投)小野

代打 池田

 投 井深

【早大】石井連藏監督※

(二)宮尾

(捕)荒井

(右)大森

代打 長谷川

(投一)織田

(遊)椎名

(一)中村寿

 投 三沢

(左)金城

代打 神谷

(三)田中

(中)平野

※は野球殿堂入り

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