「山本浩二」のニュース (87件)
山本浩二のプロフィールを見る-
江川卓と谷沢健一の真剣勝負 ストレート4球に込められた意地とプライド
連載怪物・江川卓伝〜攻略法を見つけた谷沢健一の執念(前編)過去の連載記事一覧元中日の主砲・谷沢健一が江川卓から放ったホームラン。それはただのホームランではなかった。全盛期の江川の、しかもほとんどの打者...
-
【長嶋清幸コラム】山本浩二さんに大きな借りを返せなかったのは自分自身の汚点
【長嶋清幸ゼロの勝負師(16)】山本浩二監督1年目の1989年のオフ、俺がずっと慕っていた高橋慶彦さんがトレードで放出された。伏線は2年前だった。87年の開幕2日前、地元でチームの激励会があった。毎年...
-
【長嶋清幸コラム】高卒の新人・前田智徳 すごい人材には見えんかった
【長嶋清幸ゼロの勝負師(17)】山本浩二監督が信頼する水谷実雄コーチの打撃理論を何とかして吸収したかった。でも、難しくてできない。やっても自分の感覚と全然違うもので、もう取り返しがつかなくなっていた。...
-
【長嶋清幸コラム】山本浩二さん、衣笠さん…いかついイメージだった広島の先輩たち
【長嶋清幸ゼロの勝負師(9)】1979年、静岡自動車工高からドラフト外で広島に入団した。同級生でドラフトで入った選手たちは有名どころの高校だから周りも知っている。入団発表でみんなと顔を合わせた時、「は...
-
【長嶋清幸コラム】「もしヒットだけでいいなら俺、4割打てるな」
【長嶋清幸ゼロの勝負師(22)】中日に在籍した1991~92年の2年間は落合博満さん、宇野勝さんと3人でよく一緒に食事をした。落合さんは絶対外へ食べに行かない人だったし、宿舎で1人にするわけにはいかな...
-
【長嶋清幸コラム】「マメ、出てこい!ここでタイマン張れ!」と星野さんが・・・
【長嶋清幸ゼロの勝負師(19)】前田智徳との“事件”があって、俺の周りの空気がトレードという感じになってきた。1年前の1989年には高橋慶彦さんがロッテにトレードされ、これがプロ野球の世界ということは...
-
【長嶋清幸コラム】座右の銘は「体心技」体が強くなかったら心はついてこない
【長嶋清幸ゼロの勝負師(15)】1980年代、カープの春季キャンプは地獄だった。守備がヘタだったから週2度の特守をやらされ、マンツーマンで外野ノックを300球捕らなければならなかった。その後でトレーニ...
-
【長嶋清幸コラム】長嶋茂雄さんに受けた指導 「人を踊らせる言葉」でヘロヘロに
【長嶋清幸ゼロの勝負師(12)】長嶋茂雄さんと同じ名字ということで、小さいころから周りにも言われたし、長嶋さんはスター選手ですごい存在の人って思っていた。でも阪神ファンだったからテレビで見ながら「巨人...
-
【長嶋清幸コラム】阿南新監督を男にするぞ!2年ぶりリーグVも日本シリーズで…
【長嶋清幸ゼロの勝負師(7)】1986年がまた強烈な1年だった。前年に古葉竹識監督が勇退され、阿南準郎監督が就任された。俺も主力の一員になってはいたけど、打率が3割に届いたことがなく、いつレギュラーを...
-
【長嶋清幸コラム】84年日本シリーズMVPも貰えるのは現物ばかりで…
【長嶋清幸ゼロの勝負師(6)】1984年の阪急との日本シリーズは4勝3敗で広島が制し、3度目の日本一に輝いた。俺は3本塁打、10打点と活躍していて「これはMVPあるかな」と思っていた。あのころは候補者...
-
【長嶋清幸コラム】古葉監督が打撃を見てくれるようになったのは浩二さんのおかげ
【長嶋清幸ゼロの勝負師(2)】1983年ごろの俺は打撃をすごく期待され、背番号「0」を背負ってレギュラーになれた。もともと3年やってダメならやめようと思っていたし、こんなすごい人たちの中でレギュラーな...
-
【長嶋清幸コラム】尋常じゃない練習量…よく死ななかったもんだわ
【長嶋清幸ゼロの勝負師(3)】優勝できんかったら2位も6位も一緒。やる以上は優勝せんかったら意味がない。そのためには何をやらないといけないか、ということをいろんな人に学ばせてもらった。何をすれば勝てる...
-
【平岡洋二 連載コラム】プロ入り後縮んだ体を増量し日本を代表する怪物に成長した中田翔
【平岡洋二「アスリートの解体書」(16)】6年越しの噂の主がついに現れた。というのも怪物中学生の噂が私の耳にも届いていた。それも多方面から…。いわく、140キロ超えの球を投げる。いわく、ホームランをパ...
-
【追悼 星野仙一氏】仙よ早すぎやぞ…大下剛史氏2学年下の戦友をしのぶ
「闘将」「燃える男」として、日本球界ではあまりにも大きな存在だった星野仙一氏が4日、70歳で亡くなり、6日に密葬が執り行われた。突然の訃報から一夜明けたこの日も、球界からは悼む声が相次いだが、それは星...
-
【ゴールデン・グラブ賞】広島・丸、菊池、田中 最後の「タナキクマル」揃い踏み
29日に都内で行われた「三井ゴールデン・グラブ賞」の表彰式に広島の丸、菊池、田中の3人が出席した。最初で最後の「タナキクマル」揃い踏みだ。丸は「3人で取りたいと言っていたので、かなってうれしい」と喜び...
-
広島・佐々岡新監督はエースだけど“お山の大将”じゃない 投手からも野手からも愛された男
【大下剛史・熱血球論】平成の終わりに黄金期を築き上げたカープは過渡期を迎えた。令和に入ってリーグ優勝は3年連続で途絶え、若手だと思っていた主力の中心メンバーはいつしか三十路に突入。今季中には内野の要で...
-
カープ黄金時代を予言した男
【ネット裏越智正典】広島34年ぶりの日本一はならなかったが、CSが始まろうとしていた10月11日、最終ステージで待ち構えていた広島の松田元オーナーが「優勝パレードは日本一になったときだけ」と言明した....
-
「叙勲受章祝賀会」でエモやん節健在!川淵氏はtoto創設秘話を明かす
南海、阪神で活躍した元参議院議員の江本孟紀氏(70)の「叙勲受章祝賀会」が29日、都内のホテルで開催された。参議院議員としてスポーツ振興くじ(toto)の創設に尽力したことや、野球界への貢献などから昨...
-
【新井2000安打】忘れられない地獄から天国へのプロ1号
広島の新井貴浩内野手(39)が26日のヤクルト戦(神宮)で、3回無死二塁の第2打席で相手先発の成瀬から左翼線へ適時二塁打を放ち、史上47人目、広島では山本浩二、衣笠祥雄、野村謙二郎、前田智徳に続いて5...
-
カープの「準本拠地」神宮は若鯉成長の場
【赤ペン!赤坂英一】先週4日のヤクルト戦で、広島が2つの今季初勝利を挙げた。1つ目が開幕から4戦全敗だった火曜の初勝利、2つ目が2戦2敗(1雨天中止)の神宮での初勝利である。こんな“記録”が話題になる...
-
「広島が勝つはずだった」1991年の日本シリーズ 勝ちを焦り流れを手放した第6戦の川口投入
【球界平成裏面史・広島編(6)】「本当ならカープが勝っとったはず」――。当時は現役選手だった広島OBと振り返るたび、いつもそういう話になるのが平成3年(1991年)の日本シリーズである。戦前の予想は広...
-
カープ若手に受け継がれる魂の「前田マウス」
【球界平成裏面史・広島編(5)】「こんな終わった選手に話を聞いて、どうするんですか。来年のいまごろはもう引退してますよ」平成20年(2008年)の日南キャンプ、ホテルの食堂に現れた前田智徳は、真顔で言...
-
【正田耕三連載コラム】三村監督に教わった「一流の脇役を目指せ」が僕を変えた
【正田耕三「野球の構造」(39)】チームスポーツである野球には役割分担があります。4番打者のような長距離砲ばかりを並べても得点力が上がるわけではありません。何としてでも塁に出る人、走者を効果的に進める...
-
【伊藤鉦三連載コラム】「喧嘩するほど仲が良い」星野監督と山本浩二監督
【ドラゴンズ血風録~竜のすべてを知る男~(9)】昭和から平成初期にかけてのプロ野球は令和の現在と比べてはるかに殺気立った雰囲気がありました。相手のクリーンアップに打たれてはいけないと投手は内角をビシビ...
-
【正田耕三連載コラム】「その気になっとるんか!」大下さんの怒声が…
【正田耕三「野球の構造」(37)】盗塁王のタイトルを獲得した1989年は、打撃でも満足のいく数字を残すことができました。巨人のクロマティが打率3割7分8厘と突出していたため3年連続の首位打者こそ逃しま...
-
広島ドラ1・中村奨の新ヘアに伝説のパンチパーマ職人が名乗り
広島のドラフト1位・中村奨成捕手(18=広陵)が、思わぬ悩みに直面している。高校3年間貫いた丸刈りを卒業し、新たなヘアスタイルを求めているものの、いまだに決まっていないという。そんな中、かつて赤ヘルに...
-
広島・鈴木誠がゴールデン・グラブ賞受賞「すごくうれしい」 菊池涼は9年連続9度目
「三井ゴールデン・グラブ賞」が2日に発表され、広島からは外野手部門で鈴木誠也外野手(27)、二塁手部門で菊池涼介内野手(31)が選出された。鈴木誠は3年連続5度目、菊池涼は9年連続9度目の受賞だ。セ・...
-
男気あふれる広島・重松良典球団常務が一人で流した涙
【越智正典「ネット裏」】名代表、西野襄の勇退後、東洋工業の経理課長からカープの代表に就任(球団常務)した重松良典は仕事には痛烈であったが情の人でもあった。サッカーの日本リーグ時代の役員を務めていたので...
-
杉作J太郎「山本浩二さん、衣笠祥雄さんらのモミアゲに感じたダンディズム」
【広島カープLOVE著名人「旨酒をくみかわそう」】優勝当日はめちゃめちゃ熱く、そして暑くなり過ぎました。きっと何のこっちゃとツッコミを受けるんじゃないかなと思いますが、実を言うと優勝の瞬間は京都市内の...
-
鉄人・衣笠祥雄氏が死去 19日までテレビ解説
プロ野球記録の2215試合連続出場で「鉄人」と呼ばれ、国民栄誉賞を受賞した元広島の衣笠祥雄氏が死去したことが24日、分かった。71歳だった。京都府出身。1965年に平安(京都)から広島に入団。山本浩二...