「田淵幸一」のニュース (43件)
田淵幸一のプロフィールを見る-
権藤博は近鉄の投手コーチ時代に監督の仰木彬と対立 「これ以上いたら、選手の信頼をなくし、選手を守れない」と2年で退団した
セーブ制度導入50年〜プロ野球ブルペン史権藤博が明かす1イニング限定の守護神が誕生するまで(前編)「大魔神」と呼ばれた1998年の佐々木主浩は、抑えというよりチームの柱だった──。当時のセットアッパー...
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長嶋一茂がヤクルトに入団した際、監督の関根潤三は「お坊っちゃまに打たせてやってくれ」と若菜嘉晴に懇願した
微笑みの鬼軍曹〜関根潤三伝証言者:若菜嘉晴(後編)【他球団の選手に自軍の選手の評価を尋ねる】1984(昭和59)年シーズンを最後に、関根潤三は横浜大洋ホエールズ監督を辞した。そして、2年間の評論家活動...
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関根潤三は大洋の次期監督候補の長嶋茂雄にバトンを渡すため、阪神を解雇されアメリカにいた若菜喜晴を入団させた
微笑みの鬼軍曹〜関根潤三伝証言者:若菜喜晴(前編)【急転直下でアメリカから帰国】1983(昭和58)年6月──。若菜嘉晴はアメリカにいた。前年オフ、彼の私生活を問題視した阪神タイガースは若菜の解雇を決...
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アニマル・レスリーに殴られ続けた男・藤田浩雅が語る「阪急時代の偉大な選手たち」「オリックスへの身売り」
藤田浩雅インタビュー(前編)藤田浩雅氏は、阪急(現・オリックス)時代の84年にこれまで田淵幸一氏しか果たしていなかった「捕手の新人王」に輝き、88年には史上8人目の「代打逆転満塁サヨナラ本塁打」を記録...
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江川卓は「空白の一日」で日本中を敵にした 阪神→巨人へ金銭トレードを希望していたが最悪の事態が起きた
連載怪物・江川卓伝〜アメリカ留学から空白の一日(後編)前編:留学中の江川卓に突然の「巨人に入れるから帰ってこい」の連絡はこちら>>今から46年前、1978年の秋、突如モラハラの嵐というべき事象が沸き起...
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プロ野球界をドラマチックに駆け抜けた「ロケット」飯島秀雄
【越智正典ネット裏】1968年11月12日、第4回新人選択会議は沸きに沸いた。阪神が敢然、東京六大学リーグの本塁打王で法政大の捕手、女子高生たちが「キリンちゃん」と呼んでいた田淵幸一を1位指名した。広...
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プロ野球界に広がる打撃理論のルーツ 最大流派の家元は「何苦楚魂」の〝怪童〟
古来、日本の武術には様々な「流派」というものがある。剣術で言えば「北辰一刀流」「示現流」などが知られているが、バットを用いる日本プロ野球にも「流派」というものが存在する。そこで本紙は、打撃コーチを歴任...
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【追悼 星野仙一氏】仙よ早すぎやぞ…大下剛史氏2学年下の戦友をしのぶ
「闘将」「燃える男」として、日本球界ではあまりにも大きな存在だった星野仙一氏が4日、70歳で亡くなり、6日に密葬が執り行われた。突然の訃報から一夜明けたこの日も、球界からは悼む声が相次いだが、それは星...
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阪神・梅野 不振の藤浪オレが復活させる
阪神・梅野隆太郎捕手(27)はプロ5年目で「三井ゴールデン・グラブ賞」に初選出された。球団捕手では2010年の城島以来、虎の生え抜き捕手としては1985年の木戸以来の受賞。自己最多の132試合に出場し...
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【ゴールデン・グラブ賞】阪神・梅野が最下位から初受賞!来季は“梅バズーカ”旋風だ
阪神・梅野隆太郎捕手(27)が29日、プロ5年目で初の「ゴールデン・グラブ賞」に選出された。球団捕手では2010年城島以来、虎の生え抜き捕手としては1985年の木戸以来の受賞。自己最多の132試合に出...
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阪神・佐藤輝が21号ソロ 球団新人最多本塁打記録まで「あと1本」
阪神・佐藤輝明内野手(22)が17日のDeNA戦(東京ドーム)に「5番・右翼」として先発出場。3回の第2打席に21号ソロをマークし、田淵幸一が1969年にマークした球団新人最多本塁打記録「22」まであ...
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阪神・佐藤輝に元祖フルスイング男が提言「こっからは頭や!」
【楊枝秀基のワッショイ!スポーツ見聞録】「カベ」にぶつかった時どう対処するか。このキーワードに悩む一人として、思い浮かべるのは現在の阪神・佐藤輝明内野手(22)だろう。7月は打率2割2分7厘、2本塁打...
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阪神・佐藤輝 ホームラン打ちまくりで…キャンペーンの「泡盛」提供量がとんでもないことに!
阪神は20日の巨人戦(甲子園)に1―2で惜敗。5安打1得点と打線が全体的に冷え込んだ中、2戦連発の18号ソロを含む3打数2安打1打点と一人気を吐いたのがドラ1ルーキーの佐藤輝明内野手(22)だ。球団の...
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ドラ2・伊藤将が好投も… 新人王有力候補3人で阪神票“食い合い”のピンチ
あかん、〝阪神票〟割れてまう――。阪神のドラフト2位左腕・伊藤将司(25)が15日のヤクルト戦(神宮)に先発し、6回5安打1失点。味方打線の援護に恵まれず7敗目を喫したが、好調ヤクルト打線を相手に、地...
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「エコひいきと言われても…」阪神・佐藤輝の“最短復帰”をOB・柏原純一氏が勧める理由
怪物新人は表舞台にいつ戻って来るのか。不振で10日にプロ初の二軍降格となった阪神・佐藤輝明内野手(22)が、16日のウエスタン・ソフトバンク戦(甲子園)に出場。降格後初となる複数安打を記録するなど、状...
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阪神・金本監督が星野氏遺影の前で号泣“弔いV”誓う
プロ野球の中日、阪神、楽天で監督を務め、今年1月に70歳で死去した星野仙一氏の「お別れの会」が28日、先日の東京に続いて大阪市内で行われた。チーム、球界関係者を中心に約1000人が参列し「闘将」との別...
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オープン戦11位からの逆襲 阪神・矢野流エンジョイ訓示
阪神・矢野燿大監督(50)がナインに“エンジョイ指令”だ。開幕前日の28日、京セラドームでの全体練習に臨んだ指揮官は「ここまできたから高まっている」と興奮気味に話し、選手への訓示の中身を明かした。「ど...
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西武「渡辺SDルート」で台湾戦画策
【デスクと記者のナイショ話】デスク:台湾での巨人OB選抜対台湾OB選抜戦(20日、台中)は盛り上がったな。遊軍記者:王貞治氏、原辰徳前巨人監督、中畑清前DeNA監督に巨人の高橋由伸監督、斎藤雅樹二軍監...
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殿堂入り・田淵幸一氏 番記者が明かす敏腕プロデューサーの顔
野球殿堂博物館は14日に今年の殿堂入りのメンバーを発表し、競技者表彰のエキスパート表彰として阪神、西武で活躍しダイエー(現ソフトバンク)で監督を務めた田淵幸一氏(73)が選ばれた。現役時は阪神のスター...
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【加藤伸一連載コラム】一時的な措置ながら任意引退選手に
【酷道89号~山あり谷ありの野球路~(27)】プロ野球には夢があります。今ならレギュラーとして3年連続で好成績を残せば年俸1億円に到達することも珍しくありません。しかし、一つのケガでどん底に突き落とさ...
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【加藤伸一連載コラム】心機一転!ダイエー元年に自己最多12勝
【酷道89号~山あり谷ありの野球路~(26)】昨年まで4年連続日本一のソフトバンクは、今や全ての面でプロ野球界をリードしています。選手層の厚さはもちろん、それを支えるフロントも含めたスタッフ、福岡県筑...
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阪神・梅野 侍入りへさらなる成長誓う
プロ野球の守備のベストナインを選ぶゴールデン・グラブ賞が31日、発表された。阪神・梅野隆太郎捕手(28)は、球団では1973、74年の田淵幸一以来2人目となる捕手部門での2年連続受賞。秋季キャンプの始...
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連勝は4でストップも球団新記録23号の佐藤輝「自分のスイングをしてきた結果なのでうれしい」
球団新記録更新を勝利では飾れず!阪神・佐藤輝明内野手(23)が19日のDeNA戦(東京ドーム)の9回、三嶋から左翼席に2試合ぶりの23号弾を放ち、1969年の田淵幸一氏の記録を抜き、球団新人最多本塁打...
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阪神・佐藤輝どこまで伸びる? 新人本塁打記録・清原和博らの31本超えまで「M10」
阪神・佐藤輝明内野手が17日のDeNA戦(東京ドーム)で2打席連続となる21号ソロ、22号ソロをマーク。田淵幸一が1969年にマークした球団新人最多本塁打記録に、出場88試合目にして早くも並んだ。田淵...
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阪神・佐藤輝が見据える31本塁打と〝その先〟「もっと自分はできると信じている」
球宴での戦いを終え、本格的なオリンピックブレークに突入した阪神・佐藤輝明内野手が後半戦への抱負と、更新への期待が集まる新人最多本塁打記録「31」(1959年、桑田武=大洋86年、清原和博=西武)への思...
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阪神・佐藤輝が2打席連発!田淵幸一の球団新人最多本塁打記録に並んだ
まさに規格外――。阪神・佐藤輝明内野手(22)が17日のDeNA戦(東京ドーム)で2打席連続となる22号ソロをマーク。1969年に田淵幸一が記録した球団新人最多本塁打記録にあっさりと並んだ。2―2と同...
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激怒した星野に田淵が返した憎めないセリフ
【ネット裏・越智正典】通算474ホームラン、競技者表彰のエキスパート部門で殿堂入りした田淵幸一は、内気な少年であった。父親は部下みんなに慕われていた会社役員で、花笠音頭が大好きだった。豊かな家庭に育っ...
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西武・中村が通算430号決勝弾 本塁打率14・39の価値とは
西武・中村剛也内野手(37)が28日のソフトバンク戦(京セラ)で決勝の6号ソロを放ちチームの五割復帰、同率3位浮上に貢献した。この日の試合に「4番・DH」で出場した中村は1―1の同点で迎えた4回の第2...
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王の極意と昭和の頑固親父たちの名セリフ
【越智正典ネット裏】昭和49年、王貞治は6月に阪神の田淵幸一に9本塁打の差をつけられていた。34歳。が、夏の終わりに田淵を抜き、秋に2度目の三冠王を目の前にしていた。王はこの日も打撃日記を書き続けてい...
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一本足打法の片平晋作氏死去 大友進氏が語る恩人の熱血エピソード
プロ野球の西武などで活躍した片平晋作氏が22日午前9時58分、膵臓がんのため亡くなった。68歳だった。片平氏は1971年のドラフト4位で東京農大から南海に入団。上宮高時代から王貞治の一本足打法に憧れプ...